日記:夢と惰性

さっき見た夢……エスカレーターを包むドーム状の天井に仮面ライダーの映画が映し出されていて、最後まで見終わらないまま上りきって、屋外の開けた大階段で降りてきた。夕焼けが綺麗だった。

今日は映画を見にいこうと思っていたので、それが夢に影響したのかもしれない。



休日は翌朝に日記を書くというのが自分の中で定着してしまいつつある。その日のうちに日記を書くことに拘らず、あまり夜が遅くならないようにしようという心掛けから来るものなのだが、結局「もう少しゲームしていようかな」といった欲求を満たそうとしてしまって寝る時間はそんなに変わっていない。

加えて、日記を書かねばならないという義務感がいくらか薄れてしまうので、ふとした瞬間に忘れてしまうのではないかという恐怖も忍び寄ってくる。別に誰かに命じられて書いているわけではないけれど、それでも毎日続けてきたことを途切れさせてしまうことに対して取り返しのつかない恐ろしさを感じているのもまた事実である。

これは単なる惰性で、理屈に合わない感情論ではあるのだけれど、しかしある種非合理な衝動でもなければ、毎日時間を費やしてそれなりにまとまった量の文章を書くということはしないとも思う。いまではすっかり身に染みついてしまったけれど、それでも文章を書くということはそれなりに大変なことだと思うし、俯瞰的に見ればそれを誰に言われるまでもなく続けるという行為はなかなかに狂信的な振る舞いに映る。

でも別に、周囲から見て自然な振る舞いのみに準じて生きていくことが、自分という存在を救済してくれる保証があるのかというとそうではない。詰まるところ人間は自分のことを自分で救済していかなければならなくて、そこには誰かが決めた正解の方法論があるわけでもない。参考にすることはたくさんあるけれど、その中からどれを取り入れて自分の道としていくのかは、やっぱり自分で決めるしかない。そして自分はいまのところ、自分のために日記を書いている。そうすることで心の中の迷いがいくらか整理されて、なんとか明日を生きていこうと思えるからだ。



しかし、毎日日記を書くのはそれなりに大変なことなのかもしれないと思いつつ、この世にはYouTubeなどに毎日動画を投稿しているという人もいるわけで、そこにかかるであろう撮影や編集などの作業量を思えば、文章を書くだけならそんなに大変なことでもないなとも思う。この世の人間は割とみんな頑張っていて、努力そのものが価値を生み出すということではないのかもしれないけれど、それでも頑張った人は報われてほしいなという願望がある。甘い世界であってほしい。

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