日記:夏まで届くな

「日記」と入力しようとして誤変換で「夏まで」という言葉が出てきた。なんだかいい響きだな。その後に続く言葉を考えたかったがうまくいかない。届くな、の後に5音の何かが来ると心地良さそうではあるものの……。こういうリズムの言葉、あるよね。具体例が思い出せないけれど……。

タイトル先行で日記を書いてみようか。『化物語』とかはタイトル先行で書かれたらしい。どうだっけ。『ザレゴトディクショナル』とかに書いてあったかな……。

読み返したが載っていなかったので上記の話は嘘かもしれない。どこかで読んだ気がするのだけれど、どこだったかな……。

恐山さんの日記のスタイルのような箇条書きで文章を並べていく感じ、今見たら『ザレゴトディクショナル』の前書きもそんな感じであった。このフォーマット、セルフツッコミを入れるのにめちゃめちゃちょうどいい気がする。箇条書きがある種の客観性というか、俯瞰的な視点を与えることで生まれる独特のグルーヴがある。グルーヴってなんだ?よくわからないけどグルーヴで使ってみた。グルーヴ感。

道が定まらないまま文章を書くとめちゃめちゃ話が逸れていくな……。主題に沿わない部分は後で消してしまえばいいのだけれど、今日に限ってはその手法は使えない。決まっているのはタイトルだけで、主題が存在しないからだ。

しかしこのままだとタイトルにも沿っていないぞ。夏……なんか夏のこと……

夏という季節はそれなりに好き。なんとなく、冒険があるのは夏という気がする。そういうフォーマットの映画を子供の頃よく見たからであろうか。一夏の冒険みたいな。

具体的に自分のイメージの源泉となっている作品はなんだろう。『ブレイブストーリー』とか、あれは夏だっけ?漫画と映画をみた覚えがある。映画は劇場で見たのではなく、テレビか何かで放送されていたのを見たという記憶があるので、印象としては漫画の方がリアルタイムに近いのだろう。この場合のリアルタイムとは、自分にとってその物語が近くに感じられていた頃のことを指す。主人公の年代的にも、漫画で読んだ時が近かった気がする。テレビで見たのはそれから少し間が空いているはずなので、ある程度心理的に距離を置いてみていたはずだ。

夏は冒険の季節だ。それは物語の中において。自分の実際の生活にそのような冒険活劇が巻き起こるかというとそんなことはない。僕の夏は、他の季節と同様にずっと退屈な色をしている。

だから、そういう意味では夏は嫌いだ。自分の現実の平凡さを思い知らされる季節だから。物語の中のような出会いも冒険も別れも存在しない。自分は物語の主人公なんかではないのだと、否が応でも悟ってしまう。

冒険への憧れと諦観が同居した季節。それが自分にとっての夏である。

寝ても覚めても少年マンガ
夢見てばっか自分が好きじゃないの

Utada Hikaru「Beautiful World」



だから私は夏の到来を拒絶する。時間よ、どうか夏まで届くな。これ以上自分の何者でもないところを見せつけないでくれ。


これでタイトル回収はできましたかね……?

そんな思いとは裏腹に、気候は熱量を増し、夏の到来をけたたましく喧伝している。夏がくるのだ、拒んでも。

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