日記:記念日と時間

この日記も2年目に突入ですが、今日は魂が疲弊しているので短めにします……。


記念日というものがあまり好きではない。自分に関するものなどは特に。

時を経てなお変わらない自分を直視させられるからなのかもしれない。


例えば誕生日などは、自分がまた1つ無駄に時間を過ごしてきたということを突きつけられる日でしかない。悪いのはすべて積み重ねられるだけの何かを為してこなかった自分だからどうすることもできない。それが嫌なら自分が変わるほかない。

理想像だけは無駄に膨らんでいるくせに、それに対して行動を起こそうという気がないからそのギャップに苦しむことになる。解決策は、夢を見ずに生きるか、現実を積み重ねていくのか。つまるところはそのどちらかでしかない。


努力は報われるとは限らないが、私は報われないことを恐れている。だからいつも二の足を踏む。「やって後悔する」「やらないで後悔する」のよくある2択なら、いつも後者を選ぶ。進んで行動を起こし、その末に失敗するというのは、半ば希望を抱いているところから絶望へと叩き落とされるわけだから落差が大きい。それならば、ずっと絶望の地を這っているほうがまだマシなのではないかと考えてしまう。傷つきたくなくて、ずっと自分の世界に閉じこもっていて、気づけば何もない自分がいる。周囲はどんどん高いところに登っていってしまうから、ますます追いつけなくなる。

そういうところがあると段々わかってきたので、考えるよりも先に行動してしまったほうがよいのかなと最近は考えている。


1年日記を続けたと書いた次の日の日記がこれでよいのか……?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?