日記:努力の矛先は不明

しばらく移動中に執筆する形での日記が続いていたけれど、このままではそういう形式に慣れてしまって、どんどん短くなってしまうような危懼があった。仕事が少し落ち着いたのもあって、とりあえずは机に向かって日記を書く日常を取り戻そうと思う。机に向かうと、ああ、この感覚は久しぶりだな、と思う。

平日の時間がそれなりに確保できそうなのは大きい。仕事で疲れたあとには流石に何もする気にはなれなかった。夜更かしをしても、翌日にはそれなりの強度と量を備えたタスクが待っているわけだし。そして休日は、平日のぶんを取り戻すかのように、それなりに予定を入れていたから、あまり暇はなかった。

仕事が忙しかった時期だというのもあるけれど、しかし自分がなんとかできた部分もそれなりにあったはずだと思う。今日は少し作業が凪いでいたのだけれど、そうなると途端に仕事の進みが悪くなる。こうやって少しずつ作業を後回しにしてきたツケを、ただ支払っているだけなのかもしれないと思うと、気が重くなる。あるいは、これを改善すれば仕事がある程度は速度を伴って進むようになるかもしれない。そのために必要なのはなんだろうか。ビジネス本とか、セルフマネジメント系の本とかを読んでみようかな。そういう知識をある程度体系立ててインプットしておくことは、邪魔にはならないと思う。参考にするにしろそうでないにしろ、1つの評価軸ができるからだ。

こうして出来もしない未来のことをあれこれと考えているときは楽しい。自分の可能性を無限に高く見積もっている。そして現実の壁にぶち当たって心が折れる。でもそれは、越えられない壁に挑んだということで、越えられるハードルばかりを跳んでいるよりは、視点によってはよいのかもしれない。自分は捻くれ者なので、自己嫌悪に対する自己肯定とか、陶酔に浴びせる冷や水とか、そういう逆方向の空っぽな言葉が即座に出てくる。

でもその刃は(意識的には)自分にしか向けたことがない。他人に対しては努めて温和であろうとする。嫌われるのが怖いからだ。いつも嫌われる恐怖がある。学生時代から数えてそれなりに長い付き合うの友人が何人かいるけれど、会うたびに今日こそは面罵されるのではないかと怯えている。自分が友人たちに見合う存在ではないと思うためである。自己評価が低い自覚はあるけれど、しかし自覚したからといって改善されるわけでもないので、どうにか見ないふりをして過ごしている。でもたまにその恐怖を思い出しては、自分の周辺の関係性が薄氷の上に成り立っているものだと感じて、それが続いていることの奇跡を嬉しく思うと同時に、ずっと手放したくないと思ってしまう。けれど友情を契約関係で縛るわけにもいかないし、どうすればいまの関係性が続くものだろうかと頭を捻るけれど、答えが出るわけでもなくて、とりあえずは現状をゆるやかに維持するための努力を続けるしかないのかなと思う。


以前も少し悩んでいたこと。MacBookにはとりあえずBluetoothのトラックボールをつないでいるけれど、ジェスチャーが使えないことが思いのほかストレスになっているかもしれない。トラックパッド買おうかな……。Magic Mouseは充電の方式に進化の余地を残しているような気がしてならないので(現状はマウスをひっくり返して底面にLightningケーブルを挿すしかない)、買うならMagic Tracpadかなと思っている。でもな……高いんだよな……。高いキーボード(HHKB)を使っておいて言う言葉ではないかもしれないけれど……。

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