日記:自分から話さない

昨日は週の半ばだけどお酒を飲んでそのまま寝てしまった。でもとりあえずそういう余裕が生まれるくらいには日常は落ち着いてきている気がする。まだしばらくわからないけれど……。

自分の話をするのが苦手だ(嫌いなわけではない)。「聞いても面白くないだろうしなあ」と思ってしまう。思想や嗜好の話ならば何も厭わないのだけれど、それは自分から切り離しても成立するトピックだからかもしれない。「人生は長い」とか「こういう作品が好き」とか、それらの感情は自分から生じたものではあるけれど、別に自身に固有のものではなくて、ある程度抽象化されている。でもそうではない、個別具体的なエピソードを話すことに対しては躊躇いを覚える。大して山もない平凡な人生を送っているからだ。それを面白くないと思っているわけでもないが、それでもやはり、取り立てて話すことでもないかなという思いが上回ってしまう。

人の話を聞くのは好きだ。それが思想や嗜好の話であってもそうだし、個別具体的なエピソードはむしろ盛り上がる。それらは自分では知りえない世界の断片であって、いつも新鮮な驚きがある。平凡な話であっても構わない。物語的な起伏のない話であるほうが、現実に即している証左だと思えるし、切実な感情とはそうした日常の中から生まれ出るものだ。

でもその構図を反転して、自分の話をしようとはなかなか思わなかったりする。それを曝け出すことで、拒絶されてしまわないか恐ろしくなるからだ。きっとそんなことはないのだろうと思うし、そう思える関係性があるのは嬉しい限りなのだけれど、それとは別に自らの内的な感情の構造の問題として、自分から話すことへの懊悩が存在している。

この懊悩もしょうもないものなのかなと思う。相手にはそれを求めるくせに、自分からは差し出さないというのもおかしな話だ。取るに足らない、しかし切実な日常のエピソードを交換することで、現実を生きていくための感情の型を形成していく。そういう関係性を築いたほうがいいのかもしれない。

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