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日記:情報量のダイナミクス

予定を入れないと行動しないので朝一番の『シン・仮面ライダー』のチケットを強引に予約した。あと気になっていたミュージカル『ラ・マンチャの男』のチケットが運よく取れたので行ってきた。あとこれも気になっていた『BLUE GIANT』の映画も観てきた。めっちゃよかった……感想は明日書きます。

『ラ・マンチャの男』の会場が横須賀だったので、朝の『シン・仮面ライダー』はできるだけ近づけて横浜で観たのだけれど、映画のあとで時間があったので金沢八景駅で降りた。『ぼっち・ざ・ろっく!』の舞台だからだ。

主人公の後藤ひとりが酔っ払いのベーシスト・廣井きくりと出会うシーンがあるのだが、それが上の写真の弁財天像の近くだったと思う。本当は、この後ろの土地にローソンがあったらしいのだが、アニメが終わったあとくらいに閉店になってしまったらしい。現在は更地になっていた。少し寂しい。

作品の聖地巡礼は楽しいが、自分はどちらかというと知っている場所が作品に登場するのが嬉しいタイプだ。「自分が知っている空間に、登場人物が存在している!」という興奮がある。だから聖地巡礼した後に作品を見ると楽しい。逆に聖地巡礼した瞬間はそんなにテンションが上がらないのだが、これは単に自分の記憶力が悪くて「この場所ってアニメに出てきたっけ……?」と思ってしまうからだ。

『Summer Pockets』の聖地巡礼をしたときは1人でかなりテンションが上がっていたのだけれど、これはゲームという形態で背景を繰り返し目にすることになるからだろう。自分でも比較的記憶に残っていた。登場人物が過ごした時間を追体験できたような気がした。要は、情報量が多いほうに依存しているのだと思う。通常なら、360度の空間を五感で感じられる現実世界のほうが情報量が多いから、そこにキャラクターたちが登場すると、作品に現実の情報量が一気に流れ込んでくる。だから興奮する。逆に、作品への思い入れが現実世界を通り越して、例えば登場人物たちが過ごした楽しい時間や繰り広げた物語を知っていると、なんでもない現実の風景が一気に色をつけられていく。そういう情報量のダイナミクスが、感動の一要素になっているのかもしれない。

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