日記:時間資源

仕事、終わらぬ〜〜

原因は自分の手の遅さによるものなのでどうしようもない。時間が足りぬ。仕事も趣味も時間の欠乏にあえいでいる気がする。昔からそうだったのだろうけれど気づいたのは最近だ。学生の頃はありあまる時間を怠惰に過ごしながら、いつかどうにかなるだろうと未来に無根拠な希望を抱いていた。未来は今だ。どうにもなっていない。助けて〜〜

人間が時間に縛られる生き物であるから、単位時間あたりの生産性はどうしたってついて回る。永遠の命を得たらよいのだろうか。時間の枷がなくなったら、別のリソースに対する効率性が求められるのだろう。不死だってエネルギーを必要とするのなら、それに対する燃費が価値基準となるわけだ。そうなると、現代でこうも時間あたりのパフォーマンスが叫ばれるのは、最も足りないリソースが時間であるということを意味しているのだろうか。じゃあ、時間という資源の問題が解消したとき、どのような社会になるだろう。食料やエネルギーなどの問題を、テクノロジーが解消とまではいかなくとも改善してきたように、時間の不足を解決する何かが起きたとしたら。ソーシャルゲームにはよくスキップ機能という、クリアしたステージをスキップしてアイテムを得られる機能があるけれど、あんな感じで達成可能な能力を示しさえすれば対価を得られる機構があったとしたら。……能力第一主義になるだけかもしれない。時間というものが覆い隠していたものを、暴くべきかせざるべきか。それがわかる未来は来るのだろうか。

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