日記:どれを知るべきなのか

この世界には自分の知らないことがたくさんあって、その中には知るべきこともたくさんある。そして知るべきことを自分に必要な智識と定義するのなら、それはきっと自分の人生の周辺から少しずつ学んでいくべきものなのだと思う。例えば、仕事の知識なら自分の業務に近しいものから学びとっていくべきで、関連性の薄い分野の知識を身につけることは、決して無駄とはいわないが役立つ公算は低いという気がする。要するに、知識とは必要に迫られて学んでいくのがよいのではないかということだ。ある日突然、自分を救ってくれる輝かしい智慧が授けられるということはない。

しかしこの考えは1つの前提を置いている。つまり、自分がいま存在している場所が、自分の目指すべき方角を向いている、ということを前提としなければ、いくらその場所から学びを得ようとしても、自分にとってプラスになるものと感じることができないのではないだろうか。もしそうなら場所を変えた方がいいのだが、問題なのは自分が正しい場所にいるのかどうかを判断する基準は、最終的に自分に委ねられているということだ。自分は正しい道を歩んでいるのだろうか?その疑問に答えてくれる声はなく、だから人は誰しも無限の闇の中を歩いているに等しい。正しさとはつまるところ個人の価値観でしかなく、そしてそれは一定の形を持たない。昨日正しいと信じていたことが今日ひっくり返るということなどいくらでもあるし、立場や状況が変われば正義もまた移ろうものなのだろう。

そうしたことを踏まえて、では自分が何を知るべきなのかということを考えると、結局答えなどないから、自分の近くで活かせるものを学んでいくのがよいのではないかなと思ったりする。知識が得られるのと同時に、実利が伴うから。しかし関係が薄い領域のことを学んでいくのも、同じくらいによいことだと思う。すぐにそれが活かされるということはないのかもしれないが、しかし自分にとってどのようなことを学ぶべきなのかという指針が揺らぎうるという可能性を認めるのならば、知識の領域を分散させるのはある種のリスクヘッジともいえる(知識の深さにあまり重きを置いていない前提ではあるが)。なので、知りたいことを知っていくのがよいと思います。と、自分に言い聞かせている(毎日が不安なので)。



ポケモンが面白い…………これまでのシリーズとはプレイスタイルをかなり変えてきていて、それがおそらくは現代に合わせたスタイルにチューニングされているという感覚があって、ただただ感銘を受けている。RPGとアクション要素の融合が世界観の中でぴったりと寄り添うように実現されていて、新しい切り口としてのポケモンが見事に描き出されているように思う。たのしいぜ……。

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