日記:勉強が出来ない

眠気に耐えながら日記を書いている。土日ともに比較的朝が早かったので、いつもよりも早く眠気が訪れているみたいだ。私は眠ることを何より幸福な行為であると考えていて、だから眠い中で何かをしなければならないということを何より苦痛と感じてしまう。

眠くなったら寝るようにしてはいる。眠いまま何かをしていても効率が悪いし、それならば次の日の自分に任せたほうがよい。しかし期限が定められているとどうにかして無理をしなければならない場合もあり、それは学生のときによく発生していた。要するに試験期間である。

褒められた話ではないのだけれど、自分は講義には出席するもののその内容をしっかりと理解しているわけではなくて、しかし追いつくために自習するでもなく、試験前になって慌てて間に合わせの勉強を詰め込むということに終始していた。そんな記憶が長く保つはずもなく、仕事も学部とはほとんど関係のない業界を選んだため、学んだ知識はほとんど忘れてしまった。

自分は勉強が好きなのだと思っていたけれどどうやらそれは違っていたようで、ただ他のあらゆる分野に比べたらまだ勉強はマシという程度であり、別に得意なわけでもなければ好きなわけでもないのだった。そのことに気がついたのは大学生になってから、自分の興味のある講義を取ったものの、結局ロクに勉強もしないで単位を落としてしまったときのことだった。自分で選んだ分野ですら懸命に勉強することなどできないのだから、どうあっても自分は勉強ができないのだと悟った。そのときようやく身の丈を知ったのかもしれない。

いや嘘だ。自分はまだ頑張ればなんとか勉強ができるのではないかと信じている気がする。大学を卒業したら勉強から無縁になるわけではなく、仕事で必要な知識や資格のために勉強が必要なときは訪れる。性根はそうそう変わらないので、大抵は必要に迫られてから焦って勉強をはじめるのだけれど、別段理解が早いわけでもないのでやはり間に合わせの付け焼き刃の知識でなんとかしてしまうことが多い。その度に反省して、次こそはちゃんと充分な時間を確保した上で勉強を進めようと思うのだけれど、それが達せられた試しはない。生来の怠惰が勤勉な努力を妨げる。いくら心の中で理想像を思い描いたところで、実効に移さなければ何もしていないのと同じだ。何事もそうであるように、勉強もやるかやらないかの2つに1つだ。だからまずやりはじめなければならない。何でもよいので無理やり理由をつけてでも、1つ1つ積み重ねていくほかない。

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