日記:熱にうなされて

体調が悪くてずっと寝ていた。熱があったので一応抗原検査キットを試したが陰性ではあった。シンプルに体調不良だった可能性もある。ここ最近仕事が忙しく、それがひと段落したのもあって緊張の糸が切れたのかもしれない。今は割と復調してきた。

昨日は、頭の働きも体の不調に引きずられて十全ではないので、とりあえずYouTubeで動画を眺めていた。こういうときに映画とかアニメとかゲームを進めればいいのに、それができないのは、せっかくなら万全の状態で向き合いたいと思うからだ。

でも、様々なコンディションによって感性の在り方も変化するように、風邪のときにしかできない受容の形もあるのかもしれない。まだ中学生だった頃、インフルエンザで寝込んでいて、起床と睡眠を繰り返していた折、たまたま深夜に点けたテレビで流れていたアニメがとても新鮮に感じたことを覚えている。そのときは深夜アニメにそこまで深く嵌ってはいなかったのだけれど、自分の知らない世界がそこには広がっているの感じられた。熱にうなされて迷い込んだ先に出会った場所。


好きな動画を見返していて思ったこと(体調が悪いときはあまり頭を使いたくないので、既に内容を知っている動画を再生すると脳にやさしい)。

僕は「不可能が可能になる瞬間」がめちゃくちゃ好きで、この動画の永田さんvs原宿さんとか、永田さんvs恐山さんのディベートが、一見結果が明らかなカードを意外性のある発想だけで押し通したり、論理のゲームのはずなのに大声と勢いだけで押し通したり、それに対してクールな煽りで返したり、それでも大声を突き通すところが、自分が世界に対して嵌めている枷を吹き飛ばしてくれるような爽快感があって、たまらなく好きなんですよね。この動画を見てそんな感情を抱くことが正しいのかはわからないけれど。


この動画も大好きで、川上さんが正解を察した瞬間に伊沢さんがボタンを押して、そこからのシンキングタイムで答えを捻り出すところが本当に格好いい。クイズって、知識があれば答えられるんだな、と思ってしまうと、結局知ってるか知らないかだけじゃんと考えてしまうんだけど(割と自分もそう考えていたことがあるし、もちろん知識が大切なのだけれど)、そうじゃないクイズのプレイングの部分で勝負が分かれることもあるらしいんですよね。それをまさに体現しているというか、自分がまだ答えに辿り着いていない段階で勝負に出て、そこから正解を掴み取る瞬間が、まさに「不可能が可能になる瞬間」という衝撃がある。こういう瞬間を見ると嬉しくて涙が出てきてしまう。世界は不可能に満ちていると思ってしまっているからこそ、それが覆される瞬間に、希望を抱かされるような感覚がある。


これも凄まじい。クイズの戦略と洞察で、常人には想像もつかないタイミングで解答を叩き出している。


でもそうしたクイズのスキルも、それのみが評価されるようになってしまえばつまらないのかもしれない。この感覚は、間違っているか正しいかで言えば間違っている。高いスキルを持つ人が評価されることをつまらないと言っているのだから。

以前、リアル脱出ゲームに参加したとき、「これって、謎解きの頻出パターンをよく知っている人が勝つゲームだな」と思ってしまった。タイトな時間制限の中で、それなりの謎解きをこなすには、どうしても解法を知っていたほうが有利になる。センター試験(世代がバレる用語)で数学の問題を解くのにある程度テクニックが効くのと同じように。もちろん、謎解きも数学の試験もそうした性質はひとつの側面であって、ちゃんと頭を使ったり地力がなければ答えに辿り着けない問題のほうが多いと思う。だからこれは偏見で、独りよがりな戯言でしかない。実際、別の日に参加したリアル脱出ゲームは、そうしたテクニックというよりは割とひらめきに振った部分があって、それはとても楽しかった(クリアできたというのもあるが)。

この間違いを正さなければならないと思う。これはきっと自分の心の中で癌になっている部分で、いつか全身を蝕んで取り返しのつかないことになってしまう気がする。

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