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日記:推す熱

昨日は浅草に行っていた。浅草、マツモトキヨシがやたらとある。海外の方が日本の薬をお土産として買って帰る、みたいなニュースを見たことがある気がするが、そのせいだろうか。外国からの観光客と思しき人が結構いた。

調べてみると、浅草にある複数店舗も立地によって商品の展開を変えているらしい。すげ……。こういうマーケティング戦略的な仕事をしたことはないけれど、データから予測を立ててそれがバッチリハマったときの達成感は大きい気がする。それを達成できる能力がある人は本当にすごい。自分はダメかもしれない緊張感で身がもたなくなりそうだ。

動物好きの友人何人かで豆柴カフェに行ってきた。開店の11時ごろに並んで、40分後の案内とのことだったので周辺をしばらく散策。入店して説明を受け(抱き上げるのは禁止、など)、30分間豆柴と一緒の空間で過ごすことができる。たしか10匹くらいいただろうか。

実家に柴犬がいるので慣れたものだろうとたかを括っていたが、豆柴たちはあまり寄ってきてくれなかった。愛犬にはいつも甘やかされていたのだなと思い知る。構ってあげていたと思いながらその実構ってもらっていたのだろう。それでもお互いを追いかけ回したり部屋の隅で大人しくしたりしている豆柴たちを眺めている時間は幸福だった。あと、常連と思しき人がいて、その周りにはたくさん豆柴が集まっていた。やはり覚えていてくれるのだろうか。

そのあともんじゃを食べた。味が濃くておいしいのでお酒が進んでしまう。昼からお酒を飲む罪悪感と幸福を噛み締めていた。

夜、別の友人たちと会ってまたお酒を飲んでいた。アイドルのリリースイベントに行っていたという友人の話を聞いた。自分がよく足を運んでいるのはアイドルマスターなどのゲームやアニメを主体としたコンテンツのライブで、基本的にはステージ上のキャストの方々に向かってライトを振っている距離感なのだが、話を聞いたリリースイベントはアイドルの方と話したり写真を撮ったりできるタイプのものだったらしい。友人が話す熱量が大きく、そんな熱を与えるものがどんなものなのか、いつか体験してみたいと思った。

しかし自分がそうしたイベントに足を運んだとして、何か伝えられるものがあるのだろうか? 自分はアニメやゲームを通して声優の方の姿を応援しているのだけれど、声優本人のSNSを追ったりラジオを聴いたりYouTubeの配信を見たりWeb番組を会員登録して視聴したりメールが送られてくるサービスに登録したりしているわけではない。距離が近いイベントはその声優の方を応援している人に向けられたものであって、自分のように作品のフィルターを通していることが多い状態では、適切な言葉を届けられないのではないかと思う。その人のことを応援したいと思っているのは事実だ。でもそれは活動のほんの一部だけを見ているだけにすぎない。そういう葛藤が心の中にあって、二の足を踏んでいるところがある。


その飲みの席の話では、「推しは推せるときに推せ」という言葉を敷衍して、「人生で好きなことをちゃんとやれるようにしたいね」みたいな結論に達した。最近は集まるとよくそういう話になる。友人と過ごす時間は楽しいが、それぞれにライフステージの変化があって、その上で関係をどのように保てばよいのかを考えがちになる。人生は永遠ではないけれど、短いわけでもない。続いていく日々をどう超えていけばいいのか、その解答はきっと人がそれぞれに見つけなければならないのだろう。その道が、今まで出会ってきた人と重なり合ってくれたらいいなと思う。

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