日記:決意と言うほど重くはない
明日までになんとかしなければならない仕事がいくつかあって、今日もその焦燥感に追われながら過ごしていた。明日になれば決着がつくだろう。それが一件落着なのかバッドエンドなのかはさておくとして。
納豆を食べていたら服に零してしまって、それが寝間着だったものだから、いまもその匂いが鼻を突く。この日記を書き終える頃にはもう慣れているだろうか。そうでなければ、浅い眠りを許容しなければならないかもしれない。夢に納豆が出てきたらどうだろうか。自分は納豆が嫌いというわけではない(むしろ好きなほう)だが、それでも納豆の夢というのはどうにも良い印象がない。納豆そのものが悪いというわけではなく、その表象がどうしても負の印象とともに語られることが多いことから、イメージだけが力を持つ夢の世界においては分が悪いのかもしれない。納豆は何も悪くないので、なんだか申し訳なくなってくる。
納豆に関して知っていること→ナットウキナーゼ
最近はよくQuizKnockの動画を見ているが、そこで得られた知識はすべて抜け落ちてしまっている。それでも少し触発されて、少し興味を持った分野として世界史を総覧してみたいという欲求がないではないのだが、どうしても腰を据えて向かい合わなければならないような気がして、腰が引ける。それでも僅かな時間を見つけて学んでいくにはあまりに巨大すぎるジャンルなので、まずは自分の興味が向いているところからでも見ていけたらなと思う。まずはこう、Wikipediaを追っていくとかで……。
本とか映画とか、そういう一定の時間を必要とする媒体に向き合えなくなってきているのを感じる。それは社会人になってからずっとそうなのだが、最近は特にその傾向に拍車がかかっている。小説ならまだしも、新書のような本ならば毎日少しずつでも読み進めていけばよいだろうに、それができなくて短い時間で見終わる動画に食指が動いてしまう。別に動画が悪いと言っているわけではなくて、媒体に制限がかかってしまっているというのが個人的によくない状態かなと思う。なので少しずつでも本だったり動画以外の情報に触れていくようにしたい。決意と言うほどの大袈裟なものではないが、しかしひとたび思いを抱いてしまったのなら、それは叶えなければ残り続ける呪いのようなものだから、それを解消しようときっと明日の自分は動くのではないだろうか。そういうふうに、自分にタスクを課してはそれを取り払う。その連続で続いていくのが生活であり人生なのではないかなとも思わないでもない。
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