日記:電子ページを「捲る」

しばらく慌ただしくて、寝る前や電車に乗っている間などで日記を書いていたから、久しぶりに机に向かって書いている。

とりあえず、もう少しで落ち着きそうではある。今週は少し疲れた。まだ頭に疲労が残っているような気がする。

iPad Proで使っているApple Pencilが反応しなくなっていて焦った。何度か繋ぎ直してみたら直ったものの、そもそも第一世代の古いApple Pencilなので、iPadごと買い換えてもいいかもしれないと思っている。特に何に使うというわけでもないのだけれど。円安などの影響でApple製品も日本では相対的に値上げの傾向があるらしく、先日のWWDCでの発表に伴いMac端末は過去モデルも含めて軒並み値上げしたとのことらしい。それを思うと、4月のうちにMacBook Airを買っていたのはある意味よかったのかもしれない(整備済製品だけど)。そして、値上げの波はiPhoneやiPadといった製品群にはまだ到来していないのだけれど、秋頃におそらく発売されるであろう新製品の発表の折に、それらも値上げされる公算は高い。買い替えを検討しておいても良いかもしれない。iPad AirにするかiPad Proにするか迷う。画面、12.9インチもいるかな……。でもユニバーサルコントロールでMacと組み合わせて使うのなら画面は大きい方がいいのかもしれないし……。ユニバーサルコントロールあまり使っていないけど……。

iPadは主に漫画を読んだり動画を見るのに使っている。PCよりも場所を選ばないし、スマホよりも大きな画面を使える。特に漫画では見開きで読めるのが大きくて、スマホの縦の画面で漫画を読んでいると見開きが途切れて表示されてしまうので、電子で漫画を読むのであればタブレット端末を使用するのがよいのかなと自分は考えている。また、見開きで表示したいのであればPCを使っても良いのかもしれないが、タブレットではタッチ操作でページを捲ることができるので、体験としてはより紙の本に近いものとなる。クリックでページを進めるよりも、スワイプして読み進めていくほうが、自分には好ましいと感じる。しかし、この感覚の異なりはなんなのだろうか。

例えば、クリックで進行するものに、ノベルゲームなどがある。ウィンドウにテキストが表示され、クリックするごとに次へと切り替わる。時折、キャラクターの表情や背景、音楽も変化する。個人的には、ノベルゲームをオートでプレイするのは味気ないと思っている。たかがクリック操作に過ぎないが、それでも自分の行動によって物語が進行していくさまは、ある種のインタラクティブな体験を与えてくれる。選択肢などがあればなおさらだ。

ノベルゲームをクリックして進めることへの抵抗はないのに、クリックしてページを捲ることに些かの違和感を覚えるのはなぜだろう。クリックとスワイプ、両者の違いの1つには、ページがシームレスに接続されているか否かという点があるような気もする。ページの端をクリック(あるいはタップ)すると、瞬間的に次の画面へと切り替わる(UIによっても異なるが)。対して、スワイプで捲るページには「速度」が伴う。すばやく次のページを捲りたいときには、一瞬でスワイプするし、ゆっくりと読み進めているときには、少し緩やかな動きで指を滑らせることがある。両者の差異は非常に小さなものではあるが、それでも自分は読書という体験に「ページを捲る動き」も含めて認識しているような感覚があって、だから同じ電子でもタブレットで読むほうを好んでいるのだと思う。PCの画面で見るよりも紙の本に近い感覚。その意味では、電子の書籍に多く触れることが多くなったとはいえ、物理的な「本」という存在からは、未だ逃れられていないのだろう。

あとは、「残りのページ数の厚みが少なくなってきたから、もう終わりが近いな……」という感覚を、電子書籍のUIにも自然に取り込むことができれば、紙の体験の再現という点ではかなり理想に近づくのではないだろうか。電子と紙は違うもので、それぞれ別のUXを目指すべきだとは思うけれど、それでもこれまでの人生で触れてきた「本」という存在の呪縛を引きずっている間は、紙と電子の中間ともいうべき存在があってもよいのかもしれない。

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