日記:Watch Partyの話と、実況することの喜びについての話

Amazon Prime VideoにWatch Partyなる機能が追加されたのはいつの頃だっただろうか。

上記は2020年9月の記事。どうもそれくらいらしい。米国ではそれ以前からサービスが開始されていて、日本でも機能が使えるようになったのが昨年9月の頃だったようだ。それ以前だと、オンラインで上映会をする際は通話を繋ぎながら「せーの」で再生ボタンを押したりしていた。再生を開始したと思ったらPrime Videoの最初に挿入される広告が始まってしまって肩透かしを喰らったり。視聴環境の差異により動画の読み込みで数秒固まったりすると、他の人が見ているシーンと微妙にずれていくので頑張って調整したりしていた。そういった手間がWatch  Partyを使用することで解消されるので、とても重宝している。

最近、地方にいる知人と週一くらいのペースでWatch Partyを用いた映画観賞会を実施している。とはいっても、お互い映画鑑賞中は特に話すわけでもなく通話を繋ぎっぱなしにし、終了後にあれこれと感想を言い合って余韻に浸る。一緒に映画館に行って、観賞後に近くの喫茶店に入って感想を並べ立てる、あの楽しさをオンラインで何度も味わえるのはなかなかに贅沢な心持ちでいる。作品の選択肢もAmazon Prime Videoにある限りなので選び放題である。

テレビやネットの生放送が自然に同時実況性を兼ねる動的なコンテンツと定義づければ、サブスクリプションサービスにおいて配信される過去の映画等は、(当たり前だけど)再生しなければ再生されない、静的なコンテンツの蓄積と言えるかもしれない。そこには視聴者と作品だけが向かい合う静謐だけが存在していて、第三者の熱量が添加されることは良くも悪くもない。時にそれが自分だけの心地良い余韻をもたらしてくれることもあるし、観賞後の興奮を共有できない寂しさを産むこともある。誰かと映画を一緒に見るという行為は、後者の葛藤を解消してくれる。自分はとにかく感想を話したい人間なので、Amazon Prime Videoにそれを持ち込むことができる体験は非常にありがたい。

偶にニコニコ生放送だったりYou Tubeの配信だったりで、同時実況企画が開催されているのを見る。これもアニメや映画という静的なコンテンツに対して同時実況性の熱狂を与えるというある種の発明と言えるかもしれない。金曜ロードショーをTwitterやら掲示板だったりで実況するのはかなり楽しかったりする。それをもっとやっちゃおうぜ、という試みはかなり好きだ。なぜなら楽しいので。

昨年やっていた月ノ美兎さんのlain同時視聴企画。
lainは理解が難しい描写があったりするのだけれど、そこに詳細な場面解説が挿入されることでわかりやすく視聴することができたりして、非常に楽しかったです。

過去のコンテンツに同時実況性を付与することで、もう一度その作品の熱狂や興奮を味わうことができるのは、個人的にはとても嬉しい。昔の作品をサブスクリプションで見たりしていると、その当時の盛り上がりや空気感を味わえなかったことが悔しくなってしまうことがある。作品を取り巻く読者・視聴者のリアルタイム性やライブ感はその時限りのもので再現が難しく、たちどころに失われてしまうものではある。あのときの湧き上がりを自分も感じてみたいという欲求は、こうした実況という形で満たされていく。嬉しい限りである。あのときの熱狂は失われることなく再現されるのだと、コンテンツの永遠を見たかのように安堵する。

まあ、これは何もここ最近に限ったことではなくて、きっとニコニコ動画におけるコメントという存在の重要性はそういうことなのだと思う。同じものを誰かが見ていて、それぞれのことを思っている。ゲーム実況だったりの楽しさもきっとそういう場所にある。 一人で集中して味わう楽しさもあるけれど、興奮を誰かと分かち合うことで得られる喜びもまた別種の喜びがある。思えば小学生の頃は学校の帰り道でゲームの話ばかりしていた気がする。好きなものを共有できることは、文化的な生活に必要な栄養素を多量に含んでいる。

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