日記:涙を湛えた鈍色の空
外に出ると今日の空は不安を溶かしたような色をしていた。灰色、鈍色、鼠色。曇天模様、曇り空。
曇り空は好きだ。心が不安でいっぱいでも、それで良いような気がするから。
晴天の青い空の下だと、なんだか公明正大であることを義務付けられているような気がして。いろんなことが間違っている自分は、なんとなく居た堪れない気分になる。日陰者だから、日向に居場所がないのだ。
曇りや雨の元では、日向と日陰の差異が縮まる。どちらも等しくグレーになる。だから相対的に、気分が楽になるのだ。周りが落ち込んでいる分、少し元気になるという、最悪な性格をしている。
何年か前の夏の話。オフィスで作業をしていると、外では雨が降っているようだった。
先輩に「雨降ってきたみたいですね」と話を振る。世間話が苦手な自分は、とにかく天気の話をしたがる。簡単な言葉のキャッチボール。
先輩は「雨って好き?」と尋ねてきた。自分は「そんなに嫌いじゃないかもです。外出する日は少し面倒だなって思いますけど」と答えた。
「わかるよ」と先輩は同意してくれた。
そのことが、なんだか妙に嬉しかった。
恐らく、「雨は嫌い」というのが”正しい”答えなのだと思う。一般に雨の日のことを「天気が悪い」とか「足元が悪いなか」とか言ったりする。後者はまあ事実を述べているだけだとしても、雨という天気にはマイナスイメージがつきまとう。現実に起こる悪影響として、洗濯物をとりこまなければいけなくなるし屋外でのイベントが中止になったりする。そういうあれこれを考えると、やっぱり雨という天気は「悪い」天気なのである。正常に世界を生きようとすると、どうしてもそうなる。
だから、大袈裟かもしれないけれど、「雨が好き」というのはアウトローの言葉である。”正しく”動いている世界の中で、雨は基本的に歓迎されていないように感じる。でも、誰の頭上にも平等に降り注ぐ水の雫たちが、そんな世界に対する小さな反逆のように思えるのだ。
「雨降ってきたみたいですね」は”正しい”言葉のはずだった。天気という万人に共通する話題を切り出すことで、通り一遍の反応を共有する儀式のようなもの。もしそこで「雨かあ。嫌だなあ」という言葉が返ってきていたら、自分も合わせて「本当ですよね。嫌になっちゃいますよね」と”正しい”反応を返して、その会話を終えていた。無理をしているとかそういうわけではなくて、その会話がそういうものだと認識しているからだ。お約束のようなもの。
でも、返ってきた言葉は世間の正解とは逆を行くかのようなものだった。正解ではないところで感覚を共有することができた。小さな仲間意識かもしれないけれど、きっとそのことが嬉しかったのだと思う。
世間話は苦手……。天気の話をする裏で上のような面倒なことをいろいろと考えてしまう程度には……。
今日の夜撮った電柱。暗さを補正してくれているのかかなり明るく見える。
なんだか質感がだいぶのっぺりとしていて面白い。3Dモデルみたい。
あまり関係のないことだけれど、電柱と電信柱は違うらしい。
上の写真は電柱で合ってるのだろうか。
今日の匿名小説トレーニング。お題の回収が全然できなくて強引にまとめている。当初の想定ではもっとホラーな方向に舵を切ろうと思ったのだけれど、何もかもうまくいかなかった。きっと手癖で書くと、こういう無難な毒でも薬でもない話を書いてしまう。登場人物に不幸を背負わせる覚悟ができていない。
というか良いのか。毎日日記を書くだけでも1時間近くかかっているのに、そこに加えて30分もルーティーンを増やしてしまって。毎日やるとしたら絶対破綻するぞ。
なので無理せずやります……。また気が向いたら……。
この日記だったり上の匿名小説トレーニングだったりは、iPadにくっつけて使うキーボードで書いているのだけれど、なんだか最近キーボードの調子が悪い気がする。うまく接続できていないのか、ソフトウェアキーボードの方がときどき画面に出てきてしまう。別のキーボードを買おうかな……。
でもその前にデスクトップのPCも欲しいな……。ゲームできるやつ……。Steamのセールで過去に買ったは良いもののノートPCではスペックが厳しくて積んでいるゲームがいくつかあるので……。でもいまGPUが高騰しててPCは買い時ではないとかそういう話も聞く。でもでも中国でGPUの値段が下がりつつあるという話も聞く。
もう少し様子を見ようかな……。
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