日記:カルピスの話

コンビニで飲み物とおやつを購入しようとして何気なく商品を手に取ったらどちらもカルピスだったことに気づいた人間の図


飲料としてのカルピスには、それ単体でPETボトルなどで販売されている「カルピスウォーター」と、水で割ることを前提とした「原液としてのカルピス」が存在する。そして、自分が後者の存在を知ったのは、おそらく漫画などのフィクションの中でそれが語られていたことによる者だったと思う。つまり、現実で原液のカルピスを割るよりも先に、どうやらカルピスウォーターではないカルピスが存在するらしいという情報を得て、はてそれはなんであろうと首を傾げていたのだった。

わざわざ家庭で原液としてのカルピスを購入することは少ないように思う。それを飲む機会は、おそらくお中元などで贈られてくることによって偶さか訪れるようなものなのではないだろうか。そして自分が小さい頃はそのような機会を得ること叶わず、だから「カルピスを割って飲む」行為は子供心ながらに憧憬の対象であった。

いつしかその機会を得て、はじめて「カルピスウォーターではないカルピス」を飲んだときには、大きな衝撃があった。普段飲んでいるカルピスよりも断然に味が濃い。もちろんそれは作り方にも依るのだろうが、その衝撃から自分にとって割って作るカルピスは「甘くて濃い贅沢品」として認識されるようになった。

それからしばらくあって、漫画『宇宙兄弟』のなかで「牛乳で割って作るカルピス」の存在を知った。ただでさえ甘いカルピスが、牛乳によってさらに滑らかで飲みやすい飲料へと変貌するのではないか。俄に期待を膨らませた自分は、その次に原液からカルピスを作る機会にそれを試すことにした。すると、はじめてカルピスを割って作ったときと同様の衝撃があった。水で薄められたカルピスではない、牛乳によってさらに濃厚で、それでいて口当たりのよい飲み口へと昇華されていた。そのときから自分の中では、「カルピスウォーター」<「水で割るカルピス」<「牛乳で割るカルピス」という序列が完成した。もちろん、序列が上のものほど手間があるため口にする機会は少ないが、それでも自分にとって最高のカルピスとは、自分で牛乳で割って作るカルピスがその地位を不動のものとしたのだった。

子供の頃と比べると、飲み物に甘さを求めることは少なくなった。甘味料を含むジュースよりも、単に水やお茶などを好むようになった。それは単に健康に気を遣ってことのではなくて、嗜好の変化によるものだと思う。それでも、かつて抱いたカルピスという存在への憧憬は心の中に宿っていて、ふとした瞬間にそれは発現する。だから、何気なく手に取った商品がどちらもカルピスだったということも、自分が昔からそれを特別な存在だと思い続けていたことの証左であるのだと思う。

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