日記:いつからか続くいつもの時間

眠い目を擦りながら知人と雀魂をしていた。目的は麻雀そのものというわけでもなくて、ただ近況報告とか益体もない話とかが楽しいからというところにあるので、いつまで経っても麻雀が上達しないままだ。眠いので判断力も衰えているし。

そろそろお開きにしようか、という段になって通話に参加した人がいて、じゃあ折角だからもう1半荘やろうとなったものの、誰もが眠気に飲み込まれそうになりながらなんとか牌を切っていた。少し反応がないなと思っていると、数瞬の後に「寝てたわ」と言いながら戻ってくる。しかしはじまってしまった半荘を途中で切り上げるのも目覚めが悪いからとなんとか画面にしがみつく。そうしてなんとか最後まで切り抜けた対局の結果をまるで覚えていないのだが、いま確認したら普通に負けていた。

対局が終わってのち、少しだけ話をしていた覚えがあるのだが、そこで通話を終了した覚えがない。朝目が覚めると通話を開いていたiPadの電源が切れていて、通話終了の時刻が早朝になっていたので、きっと話している途中で寝落ちしてしまい、自分だけが通話に残ってしまってiPadの充電が切れるとともに切断されたのだろうと推測する。それか、自分以外の人間が朝までずっと話し込んでいたのか。


麻雀を覚えたのは2年前の春だった。家にいる時間が増えて、ちょうど誰もがオンラインでも遊べるなにかを探していた時期だった。とりあえず自分はNintendo Switchの「あつまれ どうぶつの森」を購入して遊んでいたが、島を改造していくセンスも根気もなくて途方に暮れていたところだった。そんなときに「麻雀やらない?」と誘われた。ルールもなにもわからなかったがやってみることにした。

みんな時間を持て余していたから、連休などはほとんど毎日のように麻雀だけをしていた。8人以上集まったときには同時に2卓立ったりして、それなのに同じ通話で話しているものだから聖徳太子にでもなったかのように忙しなかった。初心者の自分にルールや戦略を丁寧に教えてくれて、なにもかもすぐに投げ出してしまいがちな自分が楽しく続けられたのは先達の優しさのおかげだったように思う。

そのときにはじめて話した人もいて、その人と昨日も麻雀を打っていた。人の出会いはどこでつながるかわからないものだなと思いつつ、もうそうやって振り返るだけの時間が経っているのだということに気付く。時間は瞬く間に過ぎていくものだと月並みなことを考えながらも、しかし楽しい時間をいくつも思い出すことができて、自分はとても幸福な状況にあるということを改めて感じる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?