日記:雨降る夜
雨が降り続いている。ここのところずっと降っている気がする。このままもう止まないのかもしれない。そうしたら人は道に屋根を架けるようになるだろうか。空は今よりも狭くなって、空の青さを知る人も少なくなるのかも。もしかしたら、バーチャルな世界で出かけることが主となるのかもしれない。そこから見える空は現実よりも綺麗かもしれなくて、でも理想にずっと浸っていられるからこそ却ってその印象は薄れてしまうのかもしれない。VR世界に長時間いたことがないからわからないが。
以前、VRのアトラクションが遊べるゲームセンターのようなものが期間限定でオープンしていたところに足を運んだことがあった。そこで「空飛ぶ自転車を漕いでゴールを目指す」ゲームや「単純にスキーをする」ゲームなどを遊んだ。そこで感じたのは恐怖だった。空飛ぶ自転車では制御を誤って崖に激突し、スキーでは谷を越えようと崖から飛び出して結果向かいの崖に激突した。高速で迫り来る崖は恐怖の塊だった。でもそれだけの実感を伴うものだということを身をもって知っているから、VRの世界には興味がある。余裕があれば機器を揃えてみたい。
シャニマスの最新シングルの表題曲『虹の行方』を『虹の彼方』だと勘違いしていたことに指摘を受けて気がついた(ありがとうございます)。自分が音声媒体でシャニマスの情報を入手していないことがわかる。シャニラジもしばらく聴けていない。こんな調子でライブに向かってよいのだろうか。楽曲も聴いてはいるけれど、ペンライトを振りかざすタイミングを把握しているわけでもない。ただなんとなく曲の印象を覚えているだけだ。
しかしライブに足を運ぶようになってから、楽曲を聴いていると「ここでペンライトを振ったら楽しいだろうな」ということを考えるようになった。思考回路の接続先が1つ増えたような感覚。
会場物販の情報を調べてみたら、どうやら整理券が必要らしく、その抽選は既に終わっているらしかった。準備を怠っていた自分が悪い。混雑していなければ整理券なしでも入れるかもしれないらしいが、あまり期待はせずに待つことにする。販路限定の商品なので、どうにか手に入れられればよいのだけれど……。
「行方」と「彼方」の見た目が似ているということにはじめて気がついた。1文字目のつくり以外は共通している。字面が似ているので空目してしまったのも頷ける。楽曲の中にも「彼方」と言う言葉は登場するが「行方」はないからややこしいのかもしれない。
文字だけでは音は伝わらない。シャニマスにもそんな例はいくつかあって、例えば幽谷霧子のカードの名前は読みがわからないものが多い(【午・燦・娘・娘】とか【数・数・娘・娘】とか【琴・禽・空・華】とか)。そしてこれは公式からも読みは自由とされていたはず(高山Pがいつだったかそんなことを言っていた気がする)。
日本語は、読み書きが難しいが(漢字があるので)、話すぶんにはそこまで難しくはないということを聞いたことがある(順番が入れ替わっても結構普通に通じるからだとか)。「私は本を読んだ」が「私は読んだ。本を」になっても、むしろ統治法によって印象的に聞こえるかもしれない。だが英語は順番に意味を持っているのでそうもいかない。らしい。
しかし順番が入れ替わると不自然に聞こえるのは日本語も同じだし、単語を並べるだけで良いのなら英語だってなんとかなる。文脈から何が主語か目的語かはある程度推測が働くから、なんとか片言でも伝わらないことはないのではないか。英語をほとんど話したこともないがそう思う。ちなみに私の英語はハワイでも伝わらなかったので壊滅的である。だからこの話はあまり信用しないでほしい。
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