見出し画像

あそぼーって言えない

自分に自信が無い。実際になんもできないということは無いのだが、どうも自分は誰からも疎まれていると勝手に思い込んでいて、風俗やホストクラブみたいにお金を払うことで人に仲良しごっこをしてもらおうとしてしまう。人間関係はサービス業の仕事じゃないんだから、嫌いなやつとはそもそも口を聞かないだろう。0<nの好意があるから、会ったら挨拶してくれたりたまに連絡をくれたりするんだろう、などということは分かっている。

ちょっと歪んでいることは頭のどこかで分かっているのに、変な考えの癖が染み付いていて他にどう解釈すればいいか分からない。

自分のスタート地点はゴキブリに近いところにいて、気に入ってもらう努力をしたり、相手の喜ぶなにかを差し出すことで便所の虫ケラめが人間様にかまっていただける、それが世界だと。そんなふうに言う友達がいたら、おいおい悲観しすぎじゃないか。おまえ大丈夫か。ってなるだろう。書いてみて思ったけど、おいどうした、私どうなってんだよ。なんで?

ただ「なんか違くね」としか思えなくて、「正しくはこうである」みたいな見本の考え方を習うことができたらいいのだけど。みんなどうやって生きてんのかな。生きていけなくなったら静かに死んでるのかな。

私は高校を全日制から通信制に乗り換えて卒業したため、卒アルというものを持っていない。だから実質中卒なのだが、そんな私も意外とバカではない。日々生活をよくするためのことを調べたり考えたり、こうして考えを書き記したり、けっこうやっている方だ。途上国にボランティア行くやつとかよりはまともだろう。発達障害さえなければ世の70%くらいの大卒は私よりバカなんじゃないかなあ。このように自惚れることができるくらい、自分は有能だと思っている。だけど対人関係になると途端に自信をなくしてしまう。

石橋を叩いたら崩れたので渡れない、ではなく、石橋を見てなんとなく嫌だから渡れない。そういう種類のこわさが人間関係にはある。

何ができないかというと、人を気軽に遊びに誘うことができない。小学生のころに練習したことがある。母親に考えてもらったセリフを覚えて、友達に電話して、言う。固定電話のボタンを押す決心に2時間かかった。そのあと普通に遊んだけど、「自分に相手を付き合わせている」感じがして気が気じゃなかった。あそぼーって言われてそれについて行くのが、一番落ち着く。だってこんなキモ虫のエゴに付き合わせて、申し訳ないだろうが。

歳を重ねて気付いたが、今度飲み行きましょうと誘うこと自体が好意の証になる。よっぽど好意がある相手、気楽にものを言える関係の人には「これは社交辞令であって…」みたいな暗示をかけつつ、あそぼーと話しかけられるようになった。ただ、会いたい人のほとんどはまだ声をかけられていない。

私は自分にお金をかける方だ。見た目は商売道具なので多少はかけるべきだが、そのへんの普通のOLよりはいい服とかいい化粧品を装備していると思う。ネイルとかまつ毛エクステとか毎月。あとさっき、パーソナルジムを契約してみた。もともと身体を鍛えるのは好きだが、他人から見て綺麗な身体になりてえ!と強く思ったのが大きな理由だ。ほぼ中卒で障害者でデリヘル嬢で、たたかえるステータスがマジのマジでひとつもない私だが、見た目が小綺麗で身体がエロくて丁寧にフェラチオすれば人に話しかけても迷惑じゃないだろう。そう信じて信じたくて、自分磨きをしている側面がある。

でもよぉ、見た目が綺麗なのはいいことだけどよ、綺麗じゃなくたって友達は友達じゃねえか。そんなとこで少なくともオラは差別するわけないだろうが。見た目が綺麗だからこいつと一緒にいるわって言われるの嫌じゃねえか?ちょっとは嬉しいがな。オラはすごく友達を大切にしてるけどよ、肝心の自分をちゃんと尊いと思えてねえんだ。オラ、どうしたらいいですか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?