出生ガチャで大当たりを引いて本当によかった。

私は生まれた瞬間、いや産まれる前から既に、人口の上位1%いるかどうかの勝ちレールに乗るperfect humanだった。

両親ともにインテリで潤沢な文化資本をもち、モテモテのイケメンと色白スレンダー美人との間に生まれた私は完全すぎるサラブレッド。
義務教育のスピードが退屈で、小学校高学年からは塾で楽しく勉強していた。

ただ、なぜだか学校に行くのが億劫で、宿題も弁当も体操着もほとんど忘れるので、いつも母親が届けてくれた。頭はいいのになぜ、と両親は首を傾げた。

遅刻忘れ物を毎日注意されるので自己肯定感はボロボロ、学校はますます億劫になり、中学校2年生ごろ、布団から起き上がることができなくなった。

私の謎の素行に母も憔悴しきって、2人で心療内科にかかるようになった。
絵に描いたメンヘラになった私は夜な夜な腕をハサミでズタズタにし始めるが、なんやかんやでお父さん銀行から個別指導塾に重課金することで公立高校に進学したが、結局また腕をズタズタにしたり、ありったけの精神薬を胃袋にかき集め救急車で運ばれたりして、無事高校をやめた。
その頃は黒霧島を1リットルくらい飲んで気絶しないと寝られなくなって、お父さんが黒霧島を買ってこなくなった。
一応将来のことを考えて国立理系を目指していたので、それなりの予備校へ重課金し、センター試験対策などしていたが、心身ともに生きるか死ぬかというところに来たため一旦保留にしてしばらく療養生活。

高校3年生にあたる年に、母が人生をリタイアした。人間の死体を見てしまったショックで私はまた大荒れするのだが、またまたなんやかんや一浪して、そこそこ名の知れた美術大学に進学した。
算数や英語が得意だったが、絵も描けるので美術大学でデザインを学ぶことにした。商業デザイナーにでもなって早く自立したかった。

体感で100年振りくらいに社会に出た感想は「完全に無理」だった。

完全に無理になった大学の小さな教室に座って初めて、「なんとなく学校に行くのが億劫」「電車に乗ると具合が悪くなる」などの漠然とした生き辛さの理由はもっと具体的にあるのでは?と直感し、思いつく限りの言葉(人混み 電車 苦手 遅刻 忘れ物 多い 冗談 わからない…等)でググッてみたり、それっぽい書籍を読み漁った。
結果、私は自閉スペクトラム症といわれる発達障害ではないか、と99%確信した。
まさか、出生ガチャが当たりという意味のSSレアではなかったとは、環境以外全部ゴミだったとは。

それから夢の大学生活は中退の運びとなり、私は実質中卒という学歴を背負う。
障害者手帳だの障害年金(消しゴムのカス)だの障害者雇用(消しゴムのカス練ってできた巨大なカスをもらえる仕事)をかき集めたが、鬱病を引きずってアルバイトもままならず、一人暮らしの支えになったのは風俗の仕事だけという事実に絶望して今はお父さん銀行から無限の融資を受けて友達とシェアハウスしながら通院と昼職探しを頑張っている。
風俗は18の頃からお金とちんぽが好きでやっていたけど、念願だった二重整形と脱毛の支払いが済んで飽きたので20歳そこそこで上がった。
ADDは飽きっぽいのだ。

そんな私にも交際5年目の理解ある彼くん、がいない。

だから何だと言えば、発達ガチャがクソでも両親ガチャがgod tierだったことに盛大な感謝を述べたいということです。できれば死ぬまで養ってください。

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