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血のうんち、血うんち

が出たのでnoteを開きました。
書きたいネタはとくに無いはずだけど、noteのテキストエディタみたいなやつを開いたからには何か解放したい気持ちがあるんだろうか。

最近は忙しくて、ストレスの消化が追いつかないため喫煙を再開しました。
喫煙所が好きだな、ということを思い出しました。
昔はきっと灰皿があればどこでも煙草が吸えて、灰皿がなければそのへんに投げ捨てることがそこまで悪く言われない世界だったんじゃないでしょうか。戦後間もない日本が舞台の映画なんかだと、誰でもどこでも、換気の悪い雀荘でも定食屋でもバカバカ吸ってますよね。禁煙という言葉は一体いつから偉くなってきたんでしょうか。
私が吸い始めたときには、マンションのベランダで吸えば親にもお隣にも上にもイライラされて、最初はお隣の奥様にチクられて家族にバレました。小綺麗なジジババ共に俺の心の痛みが分かるものかと構わず吸い続けましたが、公共の場ではモチ論外ですよねというくらいの分別はあり、外出の度に喫煙専用の箱へ渡り鳥のように飛んで吸って出てを繰り返していました。

喫煙ルームって面白くないですか?街中、デパート、映画館、オフィス等の中に、一家に一台というように、壁で囲われた「煙草を吸うためだけの部屋」がある。たとえば「ガムを噛むためだけの部屋」「靴を脱いで地べたに座って疲れた足を揉むためだけの部屋」とか普通は無いのに、喫煙ルームはほぼ必要不可欠なものとしてある。ちなみに、うんこをするための個室は喫煙所よりも確実にあります。

喫煙ってこれまた不思議です。ニコチンが脳に行くとリラックス効果があり、そして吸わない人にとっては臭いが非常に迷惑で、臭くて汚い吸い殻が出る。誰かにとって助かる一方で別の誰かにとっては迷惑なもの。吸い放題ではかなり迷惑だが、禁じてしまえば行き場のない人々が吸い殻を道に捨てて尚更迷惑になる。そして多様な考えをもった人間たちの、今のところの最適解が「喫煙専用の箱を設置して中で吸わせる」なのですか。けっこう面白くないか。

一時の小さなストレス発散のために服も髪もめちゃくちゃ臭くなるという犠牲を払い、煙を吸って吐くだけの部屋のことなんて、以前はなんとも思っていませんでした。しかし1~2年くらい禁煙して今再開してみたら、その面白さに気付いてしまいました。

5月末に福岡遠征をしてきまして、博多空港には30mに1つくらい喫煙所があって笑いました。公式のです。歌舞伎町には無いのに。博多市内には100mに1ヶ所くらい路上灰皿がありました。でかい湖がある大濠公園というところを散歩していたら、井の頭公園で言う橋の上みたいなところにもしっかり置いてあって、木陰で湖と真鴨を眺めながらの一服が喫煙解禁以来ダントツで美味しかったです。旅先で知らない街の空気と一緒に吸うのは、住んでいる街ではとうてい叶わないデトックス効果があることがわかりました。これはまたひとつ大人になった、ということでしょうか。
それから、道中ほとんどの場所で吸ってきました。御朱印帳があったら埋まってるでしょう。どの灰皿からも知らない景色が見えるので、ただ立ち止まるだけでもたくさんの新鮮な情報が五感を通じて勝手に吸収されて、それがやめられないんです。

そういえばこれはメモ帳とかではなくnoteのアプリを開けば出てくるテキストエディタで書いていますが、別のサービスで文章を投稿したいときはそのページにかじりついて最後まで書く習性があります。はてなははてなのアプリ、TwitterやLINE、Gmailなどにおいても。その個別の「部屋」にいったん入ることでTwitterの書き方だったりnoteの書き方だったりLINEスタンプの使い方を思い出せるから。勉強も、家では集中するのが難しくて外の自習室を利用していました。「気持ち」と「場所」は同時に切り替える必要があるタイプの人間なので、引きこもるのは一番不衛生なのかもしれません。

なんか健全な記事おわり

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