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14歳とか17歳くらいの頃のスピード感ある破壊衝動が恋しい

あの頃はただムシャクシャしたというだけで後先考えずに自分の腕などを切ったし、深夜から明け方に不安になると泣いたり叫んだり歌ったり死にそうな量の精神安定剤を焼酎で割って飲んだ。それによって誰が悲しむとか、迷惑がかかる可能性も少し考えれば分かることであったが、そんなことはどうでもいいと思えるくらいに己の破壊衝動と破滅願望が世界の中心で、親や友達はその瞬間、どこにも存在しなかった。もちろん、学校をサボるたびに悲しむ母の姿が見えないわけでは無かったし、キチガイが軌道に乗るまではけっこう気にしてしおらしい感じを出すくらい申し訳なく思っていた。こんな娘でごめんなさい、治るように頑張るから……と。
いつかどこかのタイミングで吹っ切れたというか。なぜなら自分はこんなに苦しいのに一生繋がらないいのちの電話が悪い、登校日数があと1日足りなければ評価できないなどという学校が悪い、なんか見られてる気がして居心地の悪い電車が悪い。世界が俺を軽視するなら俺もお前らを無視してメチャクチャやってやる。そうやって引きこもり、2ちゃんねるに専ブラで24時間張り付いてみたり、vipの人たちとよくわからないネトゲを無課金廃人プレイしたり、寝食を忘れてテトリスに熱中してニコ生主と対戦したり、自力で手に入るだいたいの市販薬と処方薬をODしまくって記憶にないツイキャスをして絶叫しながらアーカイブを削除したりした。時計か5時を指してもAMかPMなのか、いつも分からなかった。
これらを全部同列に扱うのは不適切とお思いであろうが、若くて尊い身体と時間を無駄にすること自体、リスト・カットに匹敵するとんでもない暴力であり、私にとってはだいたい同じことだった。
私の破滅的行為の詳細について書き出したらキリがないので、詳しくは別の機会に。
14~17歳の終わりまでがピークだったと記憶している。いつからこういうのをやめたんだろう。
世界が俺を軽視するなら俺もお前らを無視してメチャクチャやってやる、この文は当時の私の心情をかなり的確に捉えているのではないだろうか。なにか復讐心のようなもので動いていた気がする。世界=他者が憎いはずなのに、なぜか結果として自分が傷を負う。私の自傷行為は不思議なメカニズムで行われていた。
ところで自傷癖があった友人たちに話を聞いて驚いたが、自傷行為の理由とは千差万別だ。生育環境は人の数だけあるのだから当然かもしれない。てっきり、みんなだいたい自分と近い理由で破滅に進むのかと思いきや、まったく想像もつかない思考のプロセスを経て同じ結果に至る人がたくさんいることがわかってきた。単純に暇だったからとかいう狂人もいる。なので、私と似た傷・癖をもつ人を見ても、まったく違う人間であるということは、この怪文書を読んだみなさんの心にぜひ留めておいてほしい。
話を戻します。世界中への復讐心のようなものに燃えていたはずが、自らを傷つけることで癒されるという一見すると支離滅裂な見てて困るような行為をいつ止めることができたのだろうという話。
私は自閉傾向がほんのり強かったりして、自分と他者の境界線があることに小学校を卒業する手前でやっと気付くことができた。
ひとの ものを とったら どろぼう
欲しいポケモンにボールを投げ続けたら1回は見たことがある台詞のはずだが、私はこの言葉の意味するところを他の子供よりもずっと遅く理解した。お前のものと俺のものは同じだと思っていた。違いが理解できないのではない。みんなよりもすごく時間がかかるだけで、発達すること自体はできるのだ。
まず、世界は意図してお前を無視したりしないし、お前が思うよりも助けてくれる。お前が助けを求めるのが下手すぎたから無視されてるみたいになった。そして、復讐は何も産まず、さらなる暴力を生み出すだけだ。しかもその暴力が自傷行為になってしまうと、本当に生産性がない上に、生産性が上がる見込みすら消えていく。ほら、メンヘラの子は稼げないよ。お客さんがボロボロの手首を見たら普通、引くって言うか、悲しい気持ちになるよ。
ただ、自傷行為そのものはみっともないわけじゃないし、今でもよくやる。浴びるほど酒を飲んで翌日に頭痛でのたうち回ったり。筋トレの後に階段を降りられないほどの筋肉痛を抱えて、なぜかニコニコしてしまったり。もしもの時のための貯金を大胆に崩して旅行したり。タバコをバカバカ吸うのは緩慢な自殺みたいに言うやつもいる。夜更かしはまぁ色んな理由をつけてしてしまう。大人だって形を変えて自傷するのが当たり前で、その手段が傷の残らないものに変わったり、手数が増えて1本あたりの代償が少なく済むから、一見健康そうに見えるだけ。ただ歳を重ねたことと、ちゃんと勉強したりたくさんの人とコミュニケーションをとったり、過去を反省しまくることで私は学習した(なんとなくわかった気になった)。
つまるところ、心身ともに健康が一番いい。夜は寝ろ。
ある日いきなりやめたのではなく、徐々にまともになることができたのだ。
あっそういえば。
きっかけは、「メンヘラはハタチまで(にしておけ)」と人に言われて、あたしゃみっともないのか!と意識し始めてからだなと今ちょうど思い出した。この言葉は私の心の底に沈む錨のようである。彼の真意は、メンヘラ行為がみっともなくて惨めに見えるというより、生産性がないのだからやめるに越したことはないということ。若いと色々わからないし衝動的に行動して失敗するのはしょうがないかもだが、傷を残さずにリフレッシュする方法はいくらでもあるのだから、カッターを使うのはやめておけ。みたいなことだったのだろうと今、考えついた。7,8年前の雑談中のさりげない一言をこうしてずっと反芻する場合があるから、発話というのは丁寧にしたいものだなあ。
さて、この「一般常識」に近そうな、合理的で納得のいく理由を見いだせるまではやはり、やめたいと思う気持ちだけでは、癖になった行為を抑えられないことが多かった。何か精神に負荷がかかるたびにスリップしてしまう、非常に苦しい時期をどう乗り越えたかと言うと、ド定番の「親が悲しむ」だった。
母が自殺してから半年経つまでが一番狂った時期で、身体に一番大きな傷を作った(この話めちゃくちゃ擦るけど、私の人生でダントツでデカいイベントだったからしょうがない)。半年ほどどのように過ごしたかの記憶がすっぽり抜けている。そこで父という、唯一になってしまった親の存在が以前よりいっそう、両の親がいるときよりも何倍も重要だと直感した。なんだかもう二度とこの人を悲しませてはいけないと思って、実家で刃物の誤用をすることをきっぱり辞めることができた。
その後、片思いした男の前でカッターを誤用したのはまた別の黒歴史ですが……
今日に至るまで自傷をやめるよう諭してくれた何人かの友人たちへ、昔は狂っていたので「好きにさせろ」などと疎ましく思う気持ちもありました失礼なことに。今では本当に感謝しているしそんな友人がいてよかったと思います。
周りの人間はみ〜んな、おおよそハタチを境に血を出すやつを卒業した。こんな長ったらしく書いたことも、結局は思春期のよくあるやつの一言で済むのかもしれない。間違った行いをしていたからやめた。それで何も解決しなかったのだから、ありゃ間違っていたと思う。でも、あの頃は確かにエヴァのパイロットに必要なだけのエネルギーをもっていたし、今はもうない。死ぬほど暗いけど光り輝いて眩しかった。超新星爆発のような輝きが、失われていくほど恋しくなる26歳の自分がいるのです。お誕生日、たくさん祝ってくれてありがとう。以上です。

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