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語り唄「あの日の広島」

今週8月2日(火)に書いた記事

クラブハウスで
「あの日の広島:体験談を聞きましょう」
というルームを開いている、

ということを書きました

そのタイトル
「あの日の広島」について、お話します


私は毎月、仕事で、ある有料老人ホーム
手芸を教えるために、通っていました

2017年?ごろからだと思います

手芸といっても、ちょっと手を動かして
何かを作ってもらう
という教室です

1回では完成しなくて
3回ぐらいで完成させる作品を、作っていました

小さなポーチとか
短いストールとか

毎月、毎月、ほとんどの方は認知のために
「初めまして」とあいさつをしていました

けど、ほこちゃんさんは違っていて

ちゃんと私の事を覚えていて
”毎月第1火曜日の午後からある”ってことも
ちゃんとメモしてて

お話上手で、茶目っ気があって

昔のこと、
ほこちゃんさんが子供だった頃の事

生活していた時の様子、とか
行商の人が、いろんな物を持ってきてた、とか

たくさんたくさん、話してくれていました

知らないことが、いっぱいあって

質問すると
「仕方ないわねぇ、」って言いながら
でも、優しく教えてくれていました


丁度、コロナの前
2019年の年明け2月か3月ごろのことです

ほこちゃんさん、席に座るなり
「私はね、あの日、広島に
原爆を落とした飛行機を見てたのよ」

そう話し始めました

ほこちゃんさんの言ってること、
分かってるけど、?????ってなって

聞き返しました
「えっ!?、えっ!?、飛行機を見てたの!???」


そこから1時間以上、ほこちゃんさんは
話し続けました

時折、私は、質問して

その日の手芸教室は、ほこちゃんさん以外は
誰も来ていませんでした


恥ずかしいことに、私は戦争体験を聞く、
ということは、今までなかった

ましてや広島や長崎のことなど、
直接聞くという事は、なかった


帰りの電車の中で、ほこちゃんさんが言った
「あの日の広島は、雲一つない青空だったの」

この言葉が、何回も何回も
頭の中でリフレインされて

家に着くなり、一気に聞いたことを
『語り唄「あの日の広島」』として書き上げました


そのころ私は、
”想いを言葉と歌にして表現する、「語り唄」”を作って
パフォーマンスをしていました

「語り唄」とは、私が作った造語で
朗読と語りと歌、これをミックスして
パフォーマンスするこ
とを言います

いわゆる踊りのないミュージカル

ミュージカルってセリフ言ったかと思うと
歌うでしょ、
そういう形式で、”語り唄”も
パフォーマンスしていきます


この『語り唄「あの日の広島」』
去年の私のラジオ番組「あなたと私の語り唄」
8月6日に放送しました

2021年の8月6日が金曜日だったので
金曜日の枠に、番組を入れてもらいました

その日に、『語り唄「あの日の広島」』を
届けたかったから

もっと言えば、そのために
ラジオパーソナリティーになった

だって、ほこちゃんさんから、バトンを渡された

「この事を伝えて言ってね」
そう言われたような気がしています

今月8月5日:今日、13時~
私のラジオ番組「あなたと私の語り唄」
『語り唄「あの日の広島」』をお届けします

お時間ある方、是非聞いてください
(時間になったら、このリンクをクリックして
”視聴する”のタグをクリックすると、聞けます)

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