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神のエビデンスは私たち【ダニエル書1章】【やさしい聖書のお話】

ダニエル書の背景

今週から旧約聖書のダニエル書を読んでいきます。
 
古代のイスラエル王国は、ソロモン王のあと北のイスラエル王国と南のユダ王国にわかれてしまいました。

北イスラエル王国はアッシリアに征服されました。
そののちアッシリアを倒したバビロンによって、南ユダ王国も征服されてしまいました。といっても皆殺しにされて滅びたのではありません。ユダ王国のある人々はバビロンに強制的に連れていかれました。これが、世界史でいう「バビロン捕囚」です。

異民族を取り込む国、排除する国

今日はユダ王国から連れていかれた人たちの中の、4人の少年のお話です。
バビロンはユダ王国を倒すと、ユダの王族や貴族の中から、健康で美しくて役に立つ少年を何人か連れてきて、バビロンの言葉や文化を教育しました。彼らの中から特にすぐれた者を、バビロン王の宮殿で働かせるためです。当時のバビロンの王はネブカドネツァル、世界史ではネブカドネザル2世と呼ばれています。

新バビロニアのネブカドネザル2世
ウィキペディアより)

ネブカドネツァル王は侍従長アシュペナズに命じて、イスラエル人の王族と貴族の中から、体に難点がなく、容姿が美しく、何事にも才能と知恵があり、知識と理解力に富み、宮廷に仕える能力のある少年を何人か連れて来させ、カルデア人の言葉と文書を学ばせた。王は、宮廷の肉類と酒を毎日彼らに与えるように定め、三年間養成してから自分に仕えさせることにした。

ダニエル書1:3-5(新共同訳)

ユダ王国を征服したバビロンが、ユダの少年たちを自分の宮殿に連れてきて、バビロンの王の宮廷につかえさるなんて。
かたき討ちされるとか考えないのかと思うのだけど。

でも歴史を見ると、ずっとあとの時代にこの地方の支配者となるオスマン帝国では、戦争で捕まえた敵国=ヨーロッパのキリスト教徒の兵たちを、皇帝直属の軍団にしていたという例もあります。このイェニチェリ軍団は、イスラム教の国オスマンでも最強軍団でした。

実際、ひとつの国や民族で広範囲な超大国を維持するのは無理な話で、征服した国や民族を取り込んでこそ最強国家になっていけるんだろうな。
逆に、古代中国の唐は多民族国家として成立・繁栄した超大国だったのに、だんだん「唐は漢民族の国だ」という空気になっていくのと同時に衰退していった。

日本が中国大陸に満州という国を作ったときは「五族協和」といってアジアの五つの民族が平和に暮らせる国を理想とした。
大東亜戦争(太平洋戦争)になると日本は「八紘一宇(はっこういちう)」をかかげた。これは「世界は一つの屋根の下の家族」という意味だ。
でもやがて(戦争が苦しくなったからなのか)「大和魂」などと日本人の優秀さをアピールするようになって、そして敗戦へ。

第二次大戦では、「アーリア人の国ドイツは世界一ィィィ」と謳っていたナチスドイツが日本より先に敗戦となったのも、単一民族ということにすがろうとする無意味さなのかもしれない。

「ジョジョの奇妙な冒険」より。(c)荒木飛呂彦

日本の「八紘一宇」は戦争のためのタテマエだったという評価もある。これについては面白い話もあるのだけど、長くなるので最後におまけとして紹介することにして、そろそろダニエルたちの話に戻ろうか。

王の食事で身をけがさない

バビロンの王の宮廷に仕えるために、ユダヤ人の少年たちが選抜された。そのユダヤ人少年たちの中に、ユダ族のダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤの4人がいたのだけど。

王は、宮廷の肉類と酒を毎日彼らに与えるように定め、
…ダニエルは宮廷の肉類と酒で自分を汚すまいと決心し、自分を汚すようなことはさせないでほしいと侍従長に願い出た。

ダニエル書1:5,8(新共同訳)

イスラエル人は聖書で神様から「こういう生き物を食べるとけがれる」という決まりを受けとっていました。
たとえば牛や鳥は食べてもいいけど豚はダメとか。魚はいいけどイカタコはダメとか。

こういう食べ物についての規則をコーシャーと言って、現代でも聖書を大事にするユダヤ人は大切にしている。それでイスラエルのマクドナルドには、以前はチーズバーガーがなかったんだ。律法に「子山羊をその母の乳で煮てはならない。」とあるので(申命記14:21)、そこから「乳製品と肉を一緒に胃にいれない」というルールができたそうだ。

ユダヤ教の食物規定(コーシャー)ではチーズバーガーは禁止だった

(現在イスラエルのマクドナルドでは、乳製品ではなく植物性のチーズを使ったチーズバーガーを販売しているそうです。律法を窮屈と思うどころか「乳製品のチーズがダメなら、植物性のチーズを使えばいいじゃない」って楽しんでるような)

それでダニエルたちは「私たちの神の言葉に反するものを食べることはできない」ということで、宮廷の最高位の責任者に「野菜と水だけにしてほしい」とお願いしたんだ。
でも宮廷の責任者というのも、王の前では一人の家来でしかない。ほかの少年たちが肉や酒を飲み食いして健康的な顔色なのに、ダニエルたちだけ野菜と水ではすぐ王様にばれてしまう。それで「王様から命じられていることに逆らうのは恐ろしい」と断った。

神のエビデンス(証拠)

そこでダニエルは、実際に自分たちの面倒を見る世話係に直接相談した。十日間だけ試してくださいと。十日間だけ、ぼくたちは野菜と水だけにして、それで他の子と差が出なければいいでしょって。
結果、十日たってみたら、逆にダニエルたち4人のほうが他の子たちよりも健康的に見えたので、ダニエルたちはその後も王宮の肉や酒ではなく野菜と水だけをもらえることになった。

ダニエルたちは、自分たちの体や健康で、神がなさることを見せたんだ。つまりエビデンス(証拠)を見せて納得させたんだ。

ぼくたちプロテスタントのクリスチャンって、聖書の神様をまだ信じていない人たちに「聖書にこう書いてあるではないかー!」ってやりがちなところがある。
でもそんなの、言われたほうからしたら「知らんがな」だよね。「あなたたちは、あなたたちの神からそう言われてるのね。でも私は言われてないよ」でおしまい。

イエス様も使徒たちに「行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」と命じている(マタイ28:19-20)
「行って→弟子(信者)にして→洗礼を授けて→神の言葉を守らせなさい」という順番。
弟子になってない、まだイエス様を信じていない、聖書の神様を知らない人に「聖書の言葉に従え!」なんていうのは、イエス様のやり方とは真逆なんだ。

聖書の中での「主にそむくイスラエルvsと預言者たち」とか、「ファリサイ派や律法学者vsイエス様」「ユダヤ人vsパウロ」とかのバトルって、どちらも主を信じている、聖書の神を知っているということがあった上でのバトルなんだよ。だからイエス様が「聖書にこう書いてあるではないか。読んだことがないのか」と言えば決着がついてしまう。
でも日本ではそうじゃない。聖書の神様を信じてない人の方がほとんど。だから、聖書の言葉以外のことで聖書の神様を伝えなきゃいけない。聖書以外の証拠、エビデンスが必要。

たとえば、自分に神様が何をしてくれたかを証言する「あかし」はエビデンスになる。
ただ。
あかしというのは、実際に自分が経験したことだから、自分にとっては説得力あるし、聞いてるのがクリスチャンなら「それは主がすばらしいことをしてくださったね」てなる。けど、主を知らない人からしたら「で、それが何?」てなることも多い。

信仰に関係なく説得力のあるエビデンスってあるんだろうか。

これは実話なのだけど、ぼくが昔ある教会で知り合った、いそじいのことを紹介したい。
いそじいは血圧が高くて、医者からも「このままじゃ本当に死んじゃうよ」と言われていた。それで、その教会のみんなで、いそじいの健康のために祈ったんだ。
しばらくしてから、いそじいがこういうことを話してくれた。
病院に行ったら、医者から「血圧がとても下がっている。何かあったんですか」と言われたんだって。食事の内容など生活習慣を変えたのかという意味だろうね。
それで、いそじいが「教会で祈ってもらった」と言うと、医者は「よくわかりませんが、結果が出ているのでそれを続けてください」と言ったそうだ。

医者としては、そんな非科学的なことは認められなかったんじゃないかな。祈るだけで高血圧が治ったら、医者も薬もいらないだろって。
でも医者は、患者の状態を把握して必要な治療をするのが仕事で、そしていそじいの血圧が下がってるのは事実。
それで「よくわかりませんが、それを続けてください」という言い方になったんだろうね。

いそじいのできごとは、特殊な例かもしれない。
でも、こういう科学的にありえない奇跡じゃなくても、自分という人間をエビデンスとして見せることもできる。
たとえば「さすがクリスチャンだね」と言われる自分を見せること。なにも聖人君子のような清廉潔白でというんじゃないよ。清く正しくないのに清く正しく生きるのは無理があるからね。でも「主よ、私を見た人たちがあなたを知りたいと思うような、そんな私にしてください」とイエス様の名前で祈るなら、主はこの祈りもかなえることができる。

ペトロなど弟子たちは、イエス様の十字架より前は、ほんとわかってないダメダメ弟子だった。でもイエス様の復活によって、人間が変わってしまった。イエスの復活を信じない人でも、「何かとんでもなk衝撃的なできごとがあったことは認めざるを得ない。そうでなければ、人とというのはこんなに変わったりしない」ていうくらいだ。
主がぼくたちを変えてくださるように祈ろう。主によって変えられたぼくたちを見て、周りの人が「宗教ってなんか怪しいと思ってたけど、キリスト教というのは大丈夫そうだし、あのクリスチャンのように私もなりたい」と思ってくれるくらい、「主よ、わたしを変えてください」と祈ろう。

おまけ:日本の八紘一宇とユダヤ人

今回、日本が「五族協和(ごぞくきょうわ)」「八紘一宇(はっこういちう)」など多民族的なスローガンをかかげていたのに、「大和魂(やまとだましい)」という単一民族的な思想になっていって戦争に負けた、という話を紹介しました。

もともと五族協和も八紘一宇も、日本がアジアを侵略するためのタテマエだっただろ、という批判はある。
ただ日本は、タテマエだとしても「八紘一宇」と言ってしまったために、ユダヤ人を保護することになってしまったんだ。

ナチスがユダヤ人を迫害したとき、「シンドラーのリスト」のオスカー・シンドラーのように、個人としてできる限りユダヤ人を助けた人はいましたが、欧米のキリスト教国はナチスドイツを刺激して戦争になりたくないということで、ユダヤ人を見捨てました。イギリスのように、ユダヤ人の船が避難してきたのを銃撃して追い払った国もありました。
国の方針としてユダヤ人に手を差し伸べた国はふたつだけだったんだ。それはトルコと日本という、どちらも非キリスト教国だった。

たとえば、逃げたユダヤ人たちが鉄道で横断して満州に着いたときも、日本軍がこれを救援した。
そのユダヤ人たちが日本海を渡って敦賀に到着したとき、日本の新聞などマスコミは「われわれ日本はナチスドイツと同盟しているのだから、ユダヤ人を助けるのはけしからん」と全力で日本の空気を誘導しようとした。それでも敦賀の市民たちはボロボロの姿で到着したユダヤ人たちを助けたので、敦賀は「人道の港」と呼ばれている。

中国の上海は当時は日本が管理していたのだけど、日本がユダヤ人を他国と区別しないという方針を出していたから、上海は「世界で唯一の、ユダヤ人が安心して上陸できる港」だったんだ。
上海の責任者だった犬塚海軍大佐は、ナチスドイツが「上海にユダヤ人収容所をつくるなら協力するよ」と言ってきたのも断っている。

ユダヤ人を守った日本人というと杉原千畝が有名だけど、ナチスに迫害されているユダヤ人たちがなぜ「ナチスドイツの同盟国である日本」に助けを求めたのだろうか。
実は、上海に上陸したユダヤ人たちが、犬塚大佐に「ユダヤ教の神学校の教師や学生がリトアニアで逃げ場所を失っている。助けてくれ」と要請があったんだ。そして犬塚大佐が外務当局とかけあった結果、「公式には」ユダヤ人を他国人と区別しないとしか言えないが、日本入国の条件を見たいしていないユダヤ人についても入国許可を「黙認」するという調整がついたという。

事実として、「神は愛です」と言っているキリスト教の国の人たちはユダヤ人を見殺しにした。
事実として、キリスト教を敵国宗教としていた日本が、タテマエだとしても「八紘一宇(世界はひとつ屋根の下の家族)」をかかげていたことで、少なくないユダヤ人を救った。
ぼくたちは「歴史に学ぶ」必要がある。でもその前に「歴史を学ぶ」必要があるんだ。

動画版はこちら

この内容は、2022年8月21日の教会学校動画の原稿を加筆・再構成したものです。
キリスト教の信仰に不案内な方、聖書にあまりなじみがない方には、説明不足なところが多々あるかと思いますが、ご了承ください。

動画は千葉バプテスト教会の活動の一環として作成していますが、このページと動画の内容は担当者個人の責任によるもので、どんな意味でも千葉バプテスト教会、日本バプテスト連盟、キリスト教を代表したり代弁したりするものではありません。

動画版は↓のリンクからごらんいただくことができます。


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