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持ってるものすべてで賛美【詩編119P】【やさしい聖書のお話】

〔この内容は、布忠が教会学校リーダーとして作成している動画の原稿を再構成したものです。教会に来ている子供たちを対象にしているため、キリスト教の信仰に不案内な方には説明不足なところが多々あるかと思います。動画は以下のリンクからご覧いただけます。〕

アルファベット歌

今週は詩編119編です。
が、これは聖書66巻(旧約聖書続編を除く)の中でもっとも長い章。176節まであるんです。8節ずつの段落が22もあります。新共同訳聖書だとp958の下の段からp968の上の段まで、11ページに渡っています。

なぜこんなに長いのか?

実は22の段落のひとつずつに"仕掛け"があります。
段落に含まれる8つの節が、すべて同じ文字から始まっているのです。英語のアルファベットはAからZまで26文字ですが、ヘブライ語のアルファベットはアレフからタウまで22文字。

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そして詩編119は1節から8節はアレフで始まっている、9節から16節はベトで始まる、というふうになってるわけです。それで22文字分、22段落あって、22段落×8節=176節もあるわけです。

技術偏重の是非

ところで、これは神にささげる賛美の詩なのだけど、そこでこのように表現の技術にこだわってしまうのはどうなのでしょうか。
「心からの言葉で神を賛美する」ということと、「言葉のテクニックを駆使する」「どの言葉を使うかを『この文字で始まる単語』という制約で決める」ということは、両立するのでしょうか。

ヨーロッパの定型詩であるソネット(14行詩)は、韻の踏み方の厳格な決まりとか、構成の決まりなどが発展しすぎたために、技術的にすぐれた作品であるかということが優先されて感動を与えるというものではなくなっていった歴史があるそうです。(それでも才能ある人というのは現れるようで、定型詩というもの自体が時代遅れと言われるようになった20世紀にもすぐれた詩人がソネットをつむいでいるそうですが)

技術と詩心。
ためしてみよう!

ヘブライ詩どころかソネットもわかりませんので、短歌を作ってみました。
・賛美、キリスト教信仰の内容であること。
・上の句と下の句の一文字目を同じにする。
・4首で一段落とする(上の句と下の句で2行と数えて、8行)
・段落ごとにテーマ性を持つ
というルールで。
五十音を全部というのはたいへんなので(なにしろ「聖書のお話」は週イチで作成していますし)、「あ」「い」「わ」に挑戦してみました。
あくまでこれは「詩編119のような詩作をやってみるという実験」です!!!
短歌としてのクオリティとか、もしかして文法的におかしいところなどあっても、目をつぶってください!!!
(でもご意見や添削をコメントでいただけたら、とてもうれしいです)

朝目覚め、まずはささげる、主に感謝。
  あたらしき日を、祈りで始む。
愛の主が、この日もわれと共にあり、
  ああ主の恵み、我にともなう。
あらし吹く、世も恐るまじ、主は砦。
  あがないの主は、わが避けどころ。
吾が罪を、あがないたもう、主の十字架。
  あすも伝えん、家族に友に。

いたずらにこの世の楽しみ求めしを
  今は主イェスの愛で満たさる。
今もなお生ける神の子イェスきみは
  命をわれに与え生かしむ。
イェスの道、それず外れず歩み行き
  いずれの日にか、御国に至る
いつまでも君はむなしくさまようか
  いかでか否む、まことのリア充

わきまえず、おのが力をたのむ間も
  我の帰るを父は待ちおり
分かれたる、命の道と、滅ぶ道、
  わが主は招く、狭き門へと。
若き日に、つくりぬしを知るうれしさよ。
  わが生涯は主とともにあり。
わがために、御子を惜しまぬ父の愛、
  我は応えん、など帰らざる。

お粗末さまです_(._.)_ (滝汗)
でも、実際にやってみた甲斐はありました。
めちゃくちゃ難しかったですが、でも「どんな言葉で主を賛美しよう」ということをとても考えることができた。そうやって考えている時間がとても楽しく、主を思うということの幸せを感じていました。
技術的なことに心を奪われてしまったという感覚はなく、それよりも技術と知識を総動員して、持っているものすべてで賛美をつむいだ感覚です(私の短歌の技術と知識は小学校以来進歩してないですが)

で、やってみて思ったのですが、これは誰かのために料理するという感覚に通じるものがあるような気がします。
食べてくれる人のために、技術をかきあつめてつくるのが、料理。
愛する主のために、技術をかきあつめてつくるのが、賛美。
ということではないかと。

ただ、詩編119の場合はさらに、ヘンタイ的と言いたくなるような"言葉の仕掛け"があるんです。

「ペー」の段落

今日の聖書箇所は129~136節、英語アルファベットのPやFに相当するヘブライ文字「ペー」で各節がはじまっているのですが。

ヘブライ文字は象形文字、つまり絵が変形して現在の字になったものです。
そして「ペー」の字は、口をかたどった字形なのだそうです。(次表の下から6行目参照)

ヘブライ文字の意味

で、こちらが詩編119の「ペー」の段落ですが。

あなたの定めは驚くべきものです。わたしの魂はそれを守ります。
御言葉が開かれると光が射し出で、無知な者にも理解を与えます。
わたしはを大きく開き、渇望しています。あなたの戒めを慕い求めます。
御顔をわたしに向け、憐れんでください。御名を愛する者への裁きに従って。
仰せのとおり、わたしの足どりを確かなものにしてください。どのような悪もわたしを支配しませんように。
虐げる者からわたしを解き放ってください。わたしはあなたの命令を守ります。
御顔の光をあなたのしもべの上に輝かせてください。あなたの掟を教えてください。
わたしの目は川のように涙を流しています。人々があなたの律法を守らないからです。

上記は新共同訳聖書からの引用ですが、1行で1節になるように改行や句読点を調整しています。
で、太字にしたのは、神の「言葉」とか、「口」に関係するワードです。すべての行(節)にあります。
この「ペー」の段落で作者は、神の言葉=聖書が伝える神のおきて、命令、律法のすばらしさに目を向け、「わたしは神の言葉を生きたい」と願っているのですが。
「この段落はペーで始める。ペーだから、口に関する内容で神を賛美する」ということを、詩人はやってるわけです。

これを日本語でやるとなると。
ひらがなというのは漢字を変形したもので、漢字は表意文字ですから、やってできないことはないと思いますが。
「あ」の段落は「安」に関する内容で、「い」の段落は「以」に関する内容で、と。
・・・先ほど「ヘンタイ的」と言いましたが、詩編119の作者はヘンタイすぎます(いい意味で!)
主を賛美するということに、賛美の詩をつむぐことに、どれだけの情熱をそそいだのだろうか。日本語の「カミ」の原意は「尋常でないもの」ですが、この詩人は「賛美のカミ」と呼びたいくらいです。

言うまでもなく、ここまで高度な技術を尽くさなければ賛美の詩を作ってはいけないということはないです。
それもまた料理と同じです。まずは「相手への気持ち」ありきで、そのために持っている技術を尽くすというだけ。高度な技術を持つ人はそれをふるい、稚拙な技術しかない人でもそれを尽くす。
この詩人から学ぶべきことは、「この詩人のような高度な技術で」ではなく(はっきり言ってそれは常人にはムリ!)、「この詩人のように、今もってるものを尽くして」主を愛する、ということなのだろうと思うのです。


「しもべ」とは

この詩の中で、詩人は『御顔の光をあなたのしもべの上に輝かせてください。』と求めています。

この「しもべ」と訳されている言葉は、ほかの個所では「奴隷」とも訳されています。

日本語訳聖書の「主」は、神様の名前「ヤハウェ」を「主」に置き換えている場合と、もともと「主人」を意味する言葉が使われている場合があるのですが、では私たちが神様を「主」と呼び、自分を「主のしもべ」というときに、「私は神様に所有される奴隷」と思っているでしょうか。
神様と自分の関係を「主人と奴隷」と思っているか、それとも謙遜として「しもべ」と言っているだけなのか。

新約聖書でも、受胎告知の場面でマリアがガブリエルに『わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように』と言っていますが、この「はしため」は「女奴隷」の意味です。
マリアは「わたしは主に所有されている女奴隷ですから、ご主人様の思うとおりにしてください」というほどに"自分"を主に渡しているのです。
神を「わたしの主」と呼ぶこと、自分を「主のしもべ」と言うことは、それほどの覚悟と、実際に自分自身を相手に渡してしまうということがともなうのです。

正直に言うと、わたし自身、奴隷とまでは思わないで「主」と呼び「しもべ」と言っていたのだけど。だからわたしは「しもべ」というよりは「しもべぶりっこ」だったかもしれません。

ただ、奴隷とかしもべというと言葉の印象は悪いかもしれませんが、相手は神様である主イエスです。人間の主人ではありません。
人間の主人なら、自分のしもべ、自分が所有している奴隷の命を奪うこともあるかもしれません。でもイエス様は、わたしたち「しもべ」のために「主」であるイエス様のほうが命を捨ててくれたのです。それほどまでに私たちを愛して、「罪のしもべ」であるわたしたちを取り戻すために世に来て十字架で死んだのです。

だから私たちは、しもべとして自分を主に渡してしまって大丈夫なのです。罪のしもべのままでいるよりも、こんなにも私を愛してくれるイエス様のしもべであるほうが、安心で安全で幸せなのだから。

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