主はイスラエルの子らの中に永遠に住む【エゼキエル書40-42章】【やさしい聖書のお話】

〔この内容は、布忠が教会学校リーダーとして作成している動画の内容を再編集したものです。教会に来ている子供たちを対象にしているため、キリスト教の信仰に不案内な方には説明不足なところが多々あるかと思います。動画は以下のリンクからご覧いただけます。〕

8月からエゼキエル書を読んできて、今日が最終回なのだけど。
書いてあることはとてもはっきりしているのだけど、それがどういう意味なのかが難しいです。

新しいエルサレム

40章から、主はエゼキエルにある景色を見せます。
今(エゼキエルの時代)、神殿は壊されてしまっています。けれど主は、エルサレムの新しい神殿を見せたんです。

主がエゼキエルに見せた神殿と、エゼキエルによるその記録は、めちゃくちゃ具体的です。
メートルとかじゃなくてアンマという単位なんだけど、神殿の城壁の幅も高さも壁の厚さも具体的に何アンマと書いてある。
神殿の建物にはこういう部屋がこういう位置関係でこういう部屋があって、部屋の広さは何アンマで、とか。神殿の中の庭の縦と横が何アンマだ、とか。ここの石段が何段で、とか。ここにはこういう彫刻がしてあって、とか。神殿の中の通路の幅なんかも具体的に測った数字が書かれています。
だからこんな図面もかけてしまう。

第四神殿_平面図

立体的にするとこんな感じになるようです。

第四神殿

ところが。

最初にソロモン王が建てたエルサレム神殿を「ソロモン神殿」と言いますが、これは新バビロニア帝国に破壊されています。
エゼキエルが主から新しい神殿を見せられた後、実際に捕囚後に建て直されたものを「第二神殿」といいますが、これはエゼキエルが見たものとは違うに見せた「新しい神殿」は「第二神殿」とは違うんです。
イエス様の時代の神殿は、「第二神殿」をヘロデ大王が大幅に改築して拡張したもので、「ヘロデ神殿」とも呼ばれますが、エゼキエルが見たものは「ヘロデ神殿」とも違う。

第二神殿、そしてそれをヘロデ大王が改築したヘロデ神殿は、ローマ帝国によって破壊されてしまい、現在はわずかな部分が残っているだけです。
では、現代よりもあとで新しい神殿が現れるのでしょうか。それを主はエゼキエルに見せたのでしょうか。

主の栄光

主はエゼキエルを、この新しいエルサレムの東の門に連れて行きました。
その時エゼキエルは「イスラエルの神の栄光」が東のほうからやってくるのを見ます。

見よ、イスラエルの神の栄光が、東の方から到来しつつあった。その音は大水のとどろきのようであり、大地はその栄光で輝いた。
…わたしはひれ伏した。主の栄光は、東の方に向いている門から神殿の中に入った。(43章2-4)

そして聖霊がエゼキエルを神殿の内庭に連れて行くと、彼は『主の栄光が神殿を満たしていた』のを見ます(5節)。

「栄光」というと、何か抽象的で、具体的ではないものである感じがします。でも聖書には、イスラエルの人々が「主の栄光」を「見た」という書き方がたくさんあります。
主は目に見えない神様だけど、その目に見えない神様が確かに今ここにいるということが目に見えるもので示されることがあります。それが「主の栄光」です。

「栄光」と訳されてるのは、ラテン語のグロリア、英語のグローリーです。そして「主の栄光」は、ただのグローリーではなく「シャカイナ・グローリー」といいます。

「主」は目に見えない神様。
その目に見えない神様が、私たちと一緒にいてくださるということを「臨在」といいます。臨は「主がわたしたちに臨(のぞ)む」、在は「主が私たちとともに在(あ)る」ということです。
そしてシャカイナ・グローリーの「シャカイナ」は、ヘブライ語で「隣人の間に住む」という意味。
シャカイナ・グローリーは「私たちのあいだに住む神である主の栄光」つまり「主の臨在の証拠」であり、「見えない主の臨在」が「見えるように示されたできごと」なのです。

具体的には、光や炎、雲や煙、雷のとどろきや稲妻、響き渡る角笛の音、山がふるえたり地震がおきたり、といったことです。
これらは(角笛の音は別として)自然現象としてありふれたものですが、たとえばモーセが見た「柴を燃え尽きさせない火」や、エジプトから脱出したイスラエルを導いた「火の柱」や「雲の柱」、東の博士たちを赤ちゃんイエス様へと導いた奇妙な「星」などなど、自然現象ではありえない、確かに神である主の「しわざ」としか思えないものを「主の栄光」と呼んでいるわけです。

民の間に住む神

新しいエルサレム神殿が「主の栄光」で満たされるのを見たエゼキエルに、主が語りかけました。

「人の子よ、ここはわたしの王座のあるべき場所、わたしの足の裏を置くべき場所である。わたしは、ここで、イスラエルの子らの間にとこしえに住む」(7節)

ここで「住む」と訳されているヘブライ語は「エシカン」で、シャカイナ・グローリーのシャカンと関連する言葉です。
エゼキエルが見た、目に見える臨在の証拠「主の栄光(シャカイナ・グローリー)」が、「イスラエルの子らの間にとこしえに住む(エシカン)」という主の約束につながっていたのです。

そしてぼくたち異邦人も、救い主メシアであるイエス様を信じたときに、主が「わたしの民」と呼ぶイスラエルに加えられています。ぼくたちはイエス様によって罪をゆるされ、神の国に永遠に、主とともに住む(エシカン)のです。

東の門

ところでエゼキエルは東の門にいたときに、東から主の栄光、シャカイナ・グローリーがやってきて、この東の門をとおって神殿に入るのを見ました。

それでユダヤの人たちは今も、エゼキエルが見た「主の栄光」のように、東から救い主メシアがやってきて、東の門をとおって神殿に入ることを待ち望んでいます。
ただ今は、残っているヘロデ神殿の東側の門、黄金門(ゴールデンゲート)は封鎖されています。

黄金門_正面

エルサレムがオスマン帝国の支配下にあった時代、1530年に「ユダヤ人の救い主が来ても入れないように」ということで封鎖されたのだそうです。

でも私たちは、イエス様がその救い主メシアであることをしっています。
ユダヤ人が待ち望んでいるメシア、イスラム教徒が警戒しているメシアは、すでに来たのです。
そしてイエス様は十字架にかけられる前、王としてエルサレムに入城した時に、ロバの子にのってこの「東の門」を通ったのです。聖書にはっきり、イエス様はロバの子に乗ってオリーブ山のほうからエルサレムに入ったことが書いてあります。

もしエゼキエルが生きていたなら、救い主イエスが東の門からエルサレムに入った時に「私が見たのはこれだったのか!」と思ったかもしれません。

ただ。

イエス様はもう一度やってきます。

そのとき、人の子のしるしが天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。(マタイ24:30)
イエスは言われた。「…わたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る。」(マタイ26:64)

大いなる力と栄光をもってイエス様が再び来たときには、人間が門を封鎖したからといって止められるはずがありません。
しかも、天の雲に乗ってやってくる。この雲もシャカイナ・グローリーでしょう。

イエス様が最初に来た時は、小さな町の馬小屋でした。赤ちゃんを見て「救い主が来た」とわかったのは、天使から教えられた羊飼いたちだけでした。
でも次にイエス様が来るときには、シャカイナ・グローリーの雲にのって、誰もが「メシアだ」とわかってしまう様子であらわれるのです。

そして、2021年現在で破壊されたままのエルサレム神殿ではなく、新しくされたエルサレム神殿を、主は「わたしの王座」「わたしの足の裏を置くところ」とされる。
イエス様を信じる人は、ユダヤ人もぼくたち異邦人もひとつになって、主イエス様とともに永遠に住むのです。

それがいつなのかは、誰にもわかりません。
ぼくは、ぼくが生きてるうちにイエス様が来てほしい。というか、きっとぼくが生きてるうちにイエス様が来ると思っているけど、でもそれがいつなのかを知ってるのは天の父だけ。
キリストであるイエス様も天使たちも知らない。けれど必ずその時がくる。イエス様を信じたぼくたちに約束されている、確実な未来です。

ぼくたちはこんなにすばらしい未来が待っているということを、知っておいてください。これは聖書がはっきり伝えている、イエス様がはっきり約束して予告していることです。
これは、確定した未来です。楽しみにその日を待っていましょう。

【参考】
「エゼキエルが見た神殿」の画像はこちらから拝借しました。
「黄金門」の画像はこちらから拝借しました。

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