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律法では救われなかった【ローマ3:21-22】【やさしい聖書のお話】

2023年4月30日(日)の教会学校でのお話をもとに。

初穂祭とキリスト、五旬祭と弟子たち

今年2023年の復活祭(イースター)は4月9日でした。
5月28日には聖霊降臨祭(ペンテコステ)があります。

ペンテコステは、旧約聖書では七週祭、新約聖書では五旬祭と呼ばれています。旬は10日間の意味で、五旬祭とは50日目の祭りという意味です。
七週とか50日というのはいつから数えるかというと、過ぎ越し祭の期間中に初穂祭というのがあって、そこから七週後におこなわれる収穫の祭りが五旬祭なのです。

初穂祭は、大麦の刈り入れの祭りで、過ぎ越し祭の期間中の安息日の翌日に行われます(レビ記23:5-12)。
そしてイエス様は、過ぎ越し祭の期間中の安息日の前日に十字架で死んで葬られ、過ぎ越し祭の期間中の安息日の翌朝に復活しました。
それで、キリストは初穂であると書かれています(コリント一15:20)

初穂祭から七週後の五旬祭は、大麦の収穫の終わりであり、そして小麦の収穫の始まりです。
そして『五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると』聖霊が弟子たちにくだりました(使徒2:1-4)。このできごとを記念するのが聖霊降臨祭、ペンテコステです。
初穂祭から50日目の五旬祭の日ということは、イエス様の復活から50日目ということです。

教会の始まり

五旬祭の日に弟子たち一同が集まっていたと書いてあることから、イエス様が天に帰ったあと弟子たちは集まっていた様子がわかります。これが教会の始まりだということもできるでしょう。
でも、この日に聖霊がくだったできごとが「教会の誕生日」と言われます。五旬祭=ペンテコステの日に聖霊を受けた弟子たちが宣教を始めたことを、教会の始まりと呼んでいるのです。

弟子たちはただ集まっていただけではないでしょう。ともに祈り、神を賛美し、礼拝していたに違いありません。ただ、まだイエス様を宣べ伝えることを始めていませんでした。それがこの聖霊降臨のできごとのあと劇的に始まったのです(使徒2:4-42)。
キリストであるイエス様が建てた教会を、聖霊が完成させた感じです。

当時の教会は

こうしてはじまった教会を、初代教会とか原始教会と呼びますが、今の教会とはずいぶん違う様子でした。

マイクやスピーカーがないとか、オルガンもドラムもギターもないのは当たり前。

神学校で勉強した牧師もいません。
いえ、一人だけいました。パウロです。
キリスト教の神学校はないけれど、ユダヤ教で当時もっともすぐれた教師ガマリエル1世という先生がいました(使徒5:34)。パウロはこのガマリエル1世のもとで聖書について厳しい教育を受けています(使徒22:3)。
次の図はガマリエルが弟子たちを教えている様子ですが、ガマリエル1世はムチを振っていますね。昭和の学園ドラマで竹刀をふりまわす暴力教師より厳しそうです。

ウィキペディア「ガマリエル」より

「あの先生の弟子だったというだけで信用できる」というくらいの環境で学んできたスーパーエリートのパウロは、若い時からユダヤ人の社会で信頼と尊敬を受けていました(使徒7:58)。
パウロ自身、ユダヤ人の誰かが律法のことで自慢するんだったら、私の方がもっとすごいぞと書いています。

肉にも頼ろうと思えば、わたしは頼れなくはない。だれかほかに、肉に頼れると思う人がいるなら、わたしはなおさらのことです。
わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。

フィリピの信徒への手紙3:4-6(新共同訳)

パウロが言ってるんだし

実際にパウロは、聖書の知識がすごかったし、それは聖書をとおして知ることができる範囲で神様のことをよくわかっていたということです。
そのパウロが「律法では救われない」と書いてるんです。

わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。

ローマの信徒への手紙3:28(新共同訳)

勉強しないから勉強できないという人が「勉強したって意味ない」と言ったらどうだろう。「やってから言えよ」て思わない?
パウロは、イエス様に出会うまでの人生のすべてを、神の律法を学び、知り、実践することにささげてきた。もちろん祈りながら聖書にとりくんだだろう。パウロにとってはそれが、神である主を愛するということだった。
そんなパウロだからこそ「律法じゃないんだ」って言えるんだ。

そこまで聖書に取り組んできた。
神の言葉に取り組んできた。
律法に取り組んできた。
その上でイエス様を知った。

その結果の
「みんな!律法を守ることで救われて義とされるって信じてるよな?私もそうだった。でも違ったんた!人が救われるのは、律法じゃなくて信仰だったんだ!」
なんだ。やる前からの「旧約聖書の律法なんて、守ってられるかよ」じゃないんだ。

徹底的に「旧約聖書」に取り組んできたパウロが、
「旧約聖書で神様が約束していた救い主」に出会ったからこそ、わかったんだ。

「律法を守ることには意味がない」じゃないよ。
「律法を守れば救われるという考えには意味がない」なんだ。
なぜかというと、律法というのは、「それを守れば天国に入れる」という入試じゃないからなんだ。
そうじゃなくて、律法というのは、「救い主であるイエス様のことを証言するもの」だったんだ。

イエス様が言ってるんだし

イエス様自身、こう教えています。
「わたしが来たからと言って、律法は無効になってない。
わたしが来たことで、律法は完成する。
世界の終わりまでは、律法の文字の一点一画もなくならない。
だから、律法の中の一番ちいさな決まりでも「そんなの守らなくていい」と言ってはいけない。一番小さな律法でも大切にする人が、天国で偉大な人なんだ」(マタイ5:17-19を要約しました)

だから今でもユダヤの人たちは、神さまの律法を大切にしています。
それは、イエス様を信じたユダヤ人も同じです。
イエス様自身、ユダヤ人として、そして神の子として、神の言葉である律法を守っていました。ファリサイ派とのバトルは「律法を守るか守らないか」ではなく「律法の守り方」だったんです。

ぼくたちと律法はどうなる?

ところで、ぼくたちは旧約聖書の律法を守らなければいけないのだろうか、それとも守らなくていいのだろうか。パウロのように、まず徹底的に「律法を守る」をやってみてから考えないといけないのだろうか。

イエス様が律法を完成させたということは、イエス様の律法を守ればいいということです。
ぼくたちがイエス様を信じたということは、イエス様の律法に従うということ。だって「イエス様を愛します。でもイエス様が言ったことは無視します」なんておかしいよね。

イエス様もこう言ってる。

「わたしが父のおきてを守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしのおきてを守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる」

ヨハネによる福音書15:10(新共同訳)

旧約聖書の律法というのは、神が与えた「父のおきて」だ。イエス様は父の愛の中で、父のおきてである律法を大切にした。
ぼくたちはイエス様の愛の中で、イエス様のおきてを守るんだ。

「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしのおきてを守る。」(ヨハネ14:15)
わたしのおきてを受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。」(ヨハネ14:21)
「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしのおきてである。」(ヨハネ15:21)
「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(マタイ28:19-20)

いずれも新共同訳

旧約聖書を無視していいというんじゃないんだ。
「旧約聖書に従う」というステージから、「旧約聖書が告げていたイエス様に従う」というステージにレベルアップしたんだ。

ということは、イエス様のことをもっと知りたいなら旧約聖書にたくさんヒントがあるということだ。イエス様の言葉がわからないときも、旧約聖書にヒントがあることが多い。イエス様も、自分のことを説明するのに旧約聖書をよく引用した。パウロも、イエス様のことを説明するのに旧約聖書の言葉をよく使った。
福音書が伝えているイエス様の姿。
パウロや使徒たちが紹介しているイエス様。
旧約聖書が告げていた神の愛そのものであるイエス様。
聖書全体が、ぼくたちがイエス様を知るための手がかりです。

信仰の導き手であり、完成者であるイエスを見つめながら、走りましょう。この方は、ご自分の前にある喜びのゆえに、恥をもいとわないで、十字架を忍び、神の王座の右にお座りになったのです。

ヘブライ人への手紙12:2

動画版のご案内

このnoteの内容は、2023年4月30日の教会学校動画の原稿を加筆・再構成したものです。
動画版は毎回6分ほどの内容です。下記のリンクからごらんいただくことができます。
キリスト教の信仰に不案内な方、聖書にあまりなじみがない方には、説明不足なところが多々あるかと思いますが、ご了承ください。
動画は千葉バプテスト教会の活動の一環として作成していますが、内容は担当者個人の責任によるもので、どんな意味でも千葉バプテスト教会、日本バプテスト連盟、キリスト教を代表したり代弁したりするものではありません。このnoteの内容は完全に個人のものです。


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