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パウロどうやら気づいたらしい【使徒言行録18:1-7】【やさしい聖書のお話】

アテネからコリント

パウロがギリシャのアテネを出発して、コリントに来た時のことです。
この町でパウロはいつものように、礼拝の日である土曜日の安息日には会堂に行って、そしてユダヤ人やギリシャ人と救い主のことを話していました。

その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。…パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。

使徒言行録18;1,4(新共同訳)

会堂にギリシャ人がいたんだね。
実は聖書でイスラエルはけっこう異邦人を受け入れています。イスラエルの神である主への信仰を言い表すなら、異邦人でも民に加わることができました。そのための決まりも律法にもちゃんと定められてる。
公式に「イスラエルの神の信者になります」と言い表さなくても、主への信仰がある異邦人なら、ユダヤ人は「神をあがめる人々」として受け入れていました。
そうしたユダヤ人やギリシャ人に、パウロは「イエスがメシアだ」と伝えていった。ところがコリントのユダヤ人たちはひどい態度だったんだ。

パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、

使徒言行録18:5-6(新共同訳)

そこでパウロは、これからは異邦人の方へ行く、と言って、会堂を出て行ってしまったんです。
さて、それでパウロはどこへ行ったでしょう。
となりの国?
となりの町?

パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。

使徒言行録18:7(新共同訳)

なんと、会堂のとなりにある「神をあがめる異邦人ユスト」の家に行ったのでした。

ユストといえば

脱線するけど"ユスト"といえば、キリシタン大名・ユスト高山右近(たかやま・うこん)を思い出します。
10歳でバプテスマを受け、ユストという洗礼名を受けた彼は、黒田官兵衛などがキリシタンになるのに影響を与えたといいます。

織田信長の味方になり、豊臣秀吉にも信頼されたけど、秀吉がバテレン(宣教師)を追放するということが起きてしまう。そのとき右近は信仰を守ることと引き換えに領地と財産を捨てて殿様をやめたので、世間が驚いたと伝えられています。
そして徳川家康のキリシタン追放によって、右近はフィリピンのマニラへ。イエズス会などの報告によって「ジパングのユスト高山右近」は有名だったからマニラでも歓迎されたそうなのだけど、マニラについてすぐ病気で亡くなりました。

信仰のために追放された先での客死は殉教者と認められるということで、カトリックは2017年に、ユスト高山右近を福者と認める列福式をおこなっています。
カトリックの大阪教区には、ユスト高山右近のゆるキャラ「うーこんどの」もいて、信仰の先輩の足跡を伝えています。

『う~こんどのと歩く 高山右近ガイドブック』

ここまで紹介しておいて実は、調べてみた範囲では、高山右近のユストという洗礼名が、今日の個所に出てくるティティオ・ユストに関係するものかはわからなかったんだけどね。関連してちょっと紹介したかったので。
ではパウロの話に戻ります。

パウロ激ギレ?

「わたしは異邦人の方へ行く」というパウロ、かなりキレちゃってる感じに見えます。

パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」

使徒言行録18:6(新共同訳)

「ちりを振り払う」というのは、「あなたたちのところからは、チリひとつでさえ持っていきません」という気持ちを表しています。
まるで、もうユダヤ人の救いのことはあきらめた、という感じなのだけど、でもそれはありえないと思う。

このチャンネルでも何度かふれたけど、反ユダヤ主義はキリスト教の間違った伝統として今も続いています。牧師の中には「置換神学」といって、「主がイスラエルに与えた約束は、イスラエルから取り上げられて教会に与えられた。聖書の中の『イスラエル』は、『霊的なイスラエルである教会』に置き換えられる」なんていうトンデモなことを教える牧師もいたりする。

でも実際には聖書は、神の招きと賜物は取り消されないって言っているし(ローマ11:29)、もし主がユダヤ人を容赦しないとしたら異邦人のことはもっと容赦されないとも書いてある(ローマ11:21)。
「主はそれでもユダヤ人を、イスラエルを捨てたままにしておかない」ということが、「ぼくたち異邦人のことも主は捨てない」という保証なんだよ。
もし主が、あれほど繰り返し約束したことを破ってイスラエルを捨てるなら、ぼくたちはもっと容赦なく捨てられる。
あれほど主を悲しませ続けたイスラエルのことも主は変わらずに愛し続けているということが、ぼくたちも主に愛され続ける希望になるんだ。

そのことを、ユダヤ人の中でも最高の教育を受けたパウロはよく知っていたはず。
パウロは何度もユダヤ人からひどい目にあわされたけれど、それでも「主が愛しているユダヤ人」に、彼らの主であり王である救い主イエス様を受け入れてほしかった。
パウロの手紙を見ても、ユダヤ人がイエス様を信じて救われることをパウロはまったくあきらめていなかったことがはっきりわかる。

じゃあなぜパウロはコリントのユダヤ人にあんなことを言ったのだろう。

「主のため」と思ってここまでがんばったのに

パウロは、自分の役目は異邦人に福音を告げ知らせることだと書いています。

わたしは異邦人のための使徒であるので、自分のつとめを光栄に思います。

ローマ11:13(新共同訳)

で、パウロが「私は異邦人に遣わされている」と気付いたのは、このコリントのできごとだったんじゃないかなと思うんです。
私はユダヤ人に遣わされているのではなかったんだ、って。ユダヤ人のためには、主は自分以外の誰かを遣わされるんだって。

ユダヤ人が救われてほしい、イエスは主だということを私がユダヤ人に伝えたい、そう思っていただろう。
「でも、それは私の仕事ではなかったんだ」とパウロは気付いてしまったんじゃないかなと思うんです。

「やりたいこと」と「やるべきこと」は区別が必要な場合があります。
イエス様もそうだった。ギリシャ人の女性から「娘から悪霊を追い出してください」と助けを求められたとき、イエス様は「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」って答えている(マタイ15:24)。
イエス様が「助けたい」と思わなかったはずがないよね。けれどイエス様は、「まだ父は私を異邦人に遣わしていない。今はイスラエル人のためにしか遣わされていない」と答えるしかなかったんだ。(→「イエス様の塩対応」の回)

「私が主のためにやりたいこと」は「主が私に"やってね"と言っていること」か?

「主のため」と思ってること、思ってきたことでも、手放さなければならないときがあるんです。
「これを私がやるのが主のお心だ」と思って続けてきたこととか、準備してきたこととか、なのにどうやら主は「君はそれは置いといて、こっちをやってほしい」と考えているらしいぞ、ということがある。

コロナの前、ぼくは「教会学校週報」を何年か担当していました。続けてこられたということが、「主がぼくに『これをやってね』て任せているってこと」と思って担当していた。

コロナで教会学校をお休みにするということが決まったとき、教会に集まれなくても動画で教会学校を届けられるのではということで、「のぶおリーダー教会学校チャンネル」を始めました。
ところが、「教会学校週報」と「教会学校チャンネル」を両方続けていくことは無理だった。最初は両方がんばれるかなと思って、両方とも「これは神様が『やってね』と言っているんだ」と信じているのに、でも両方を続けることはあきらかに無理だと認めなきゃいけなかった。
それでぼくは「教会学校週報」を手放して「教会学校チャンネル」に全力になることが、「今、主がぼくに望んでいることなんだな」と気付いたんた。
教会学校週報をここまでやってきたことは主のお心だったと思う。でもコロナで教会学校に集まれない、教会に集まれないという状況になったとき、ここからは教会学校チャンネルを続けるのが主のお心なんだって。
そうすると、これ以上は「教会学校週報も続けたい」というのはぼくのわがままになってしまう。「今は、ぼくは、教会学校週報を手放す」ということを選ばなきゃいけなかった。

パウロもそうだったんだろうと思うんだ。パウロは「わたしが、神の民イスラエルに、救い主を伝えたい」という熱い熱い思いを手放さなきゃならなかった。異邦人にもユダヤ人にも福音を伝えるべきだし、今までそうやってきた。
でもそれは主のお心ではなかった。今まではそうだったかもしれないけれど、ここからはパウロがユダヤ人に宣教するのは主のご計画ではない。

モーセがエジプトのファラオと対決したとき、「主がファラオの心をかたくな(頑固)にさせた」のでファラオはイスラエルを去らせなかった、ということが何度も繰り返された(出エジプト4:21,7:3,7:13等々)
イスラエルがエジプトを出ていくのは、「ファラオが許可したから」じゃなくて「主が連れていく」ということだからです。主があらかじめ定めた計画のとおりに、主がイスラエルを連れて出ていく。だからその前にファラオがイスラエルを去らせようとしたときには、主がファラオを頑固にさせて妨害したんだ。

主は一人一人に、救いのための計画を準備している。そして主は、パウロのことは「異邦人のための使徒」として遣わし、ユダヤ人にはユダヤ人のための救いの計画を用意していた。
だから、これは”たぶん"でしかないのだけど、パウロが「私がユダヤ人に福音を伝えたい」を手放すために、主はコリントのユダヤ人をかたくなにしたのかもしれないなって思うんです。

主の御心を知るのは難しい

「私がこうすることを主は喜ばれると思う」と思ったのにうまくいかないということはあります。
「この進路に進むのが主のお心だと思う」「この職業が主のお心だと思う」「この人は神様が与えてくださった伴侶だと思う」「このボランティアに参加することを主は喜ばれる」「教会のこの奉仕を私がすることは主のお心だと思う」などなどいろいろなことが、「あれ?」と思う状態になるのはよくあることです。「主の導きでこっちに来たはずなのに、なぜ進めない?」て。

進めないのはもしかしたら「この困難な状況も主にあって突破できるから、信じて進め」ということかもしれない。

でももしかしたら、「今はここで時を待て」というのが主の御心ということかもしれない。

「あなたには、ここまでをまかせていた。ここからはほかの人にまかせて、あなたには別のことを始めてほしい」というのが主の御心ということだってあるかもしれない。

そして。
もしかしたら、もともと主のお心ではないことを「私はこれが主のお心であってほしい」で突っ走ってきてしまっただけだった、だから主が道をとざした、ということだってありえることなんだ。

【実話】ある神学生の場合

ぼくが知っているある「もと神学生」は、牧師になることが主のお心だと信じて神学校に進学しました。彼の教会も家族も、信じて祈って神学校に送り出した。けれど彼は途中で、自分が牧師になることは主のお心ではなかったことに気付いたそうです。
牧師を目指して神学校に入った人が、その道をやめるというのはとてもたいへんなことです。神学校の先生たちや同級生、そして送り出してくれた家族や教会の人たちを、全員がっかりさせるかもしれない。でも彼は、一所懸命に祈りながら考えた結果、「牧師になろう」と決心したとき以上の勇気で、神学校をやめました。
これは推測なのだけど、たぶん彼は「人をがっかりさせたくない」よりも「主をがっかりさせたくない」を考えることができたのだと思う。主が「君には、牧師になることではなく、別の計画を準備している」とわかったのなら、「祈ってくれてる"人"をがっかりさせたくない」で続けることはできなかっただろうって思うんだ。

【実話】のぶおリーダーの場合

昔、ぼくが信頼していた牧師に「結婚を考えている女性がいるのだけど、どうしたら主の御心ってわかるんですか」と質問したことがありました。

その牧師、なんて答えたと思う?
「御心って、あとになって振り返ったときに、あれは確かに主の御心だったとか、あそこで間違えたとかわかるんだよな」だってwww

ちょっと待って!ぼくは「今このひとと結婚することは主の御心なのだろうか」ということが気になってるんだ、あとになって「御心じゃなかった」てなったらどーすんだよ!

「きっと主の御心にかなう」と信じてその人と結婚してから20年以上経った今の時点では、幸いなことにどうやらこの結婚は主の御心だったらしいって思えてるけどね。うちの奥さんも同じように思えてたらいいのだけどw

主の御心を知るために

「主の御心」をわかるのは難しいという話ばかりしてきたけど、知ることができないというわけじゃないんだ。

よく祈ること。祈ってから考えて、考えながら祈る事。
そして、ふだんから聖書に親しんでおくこと。聖書には、主に喜ばれることをした人や、主を悲しませた人の例がたくさん書いてある。そうしたことに普段から親しんでおくことはきっと、「こういう時どうすれば主は喜んでくれるか、祝福してくださるのか。どうすれば主を悲しませるか、主にさばかれるか」ということのヒントになるから。

動画版はこちら

この内容は、教会学校動画の原稿に加筆して再構成したものです。キリスト教の信仰に不案内な方、聖書にあまりなじみがない方には、説明不足なところが多々あるかと思いますが、ご了承ください。
動画は千葉バプテスト教会の活動の一環として作成していますが、このページと動画の内容は担当者個人の責任によるもので、どんな意味でも千葉バプテスト教会、日本バプテスト連盟、キリスト教を代表したり代弁したりするものではありません。

動画版は↓のリンクからごらんいただくことができます。


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