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ローマのクリスチャンへパウロからの手紙【ローマ1:8-17】【やさしい聖書のお話】

2023年4月16日(日)の教会学校でのお話をもとに。
今回からローマ書になります。

誰に感謝?

ある人がこんなことを言っていました。
その人はある時、家に友達を泊めてあげたことがあったそうです。
その友達が帰って行ったあと、テーブルに手紙が置いてあった。
「あなたがぼくを泊めてくれて親切にしてくれたことを、神様に感謝します」

その人は激怒したそうです。
泊めてあげたのも親切にしたのも私なのに、なぜ彼は私に感謝しないで神に感謝するんだ?
だからクリスチャンは嫌いなんだ。恩知らずで非常識だ。

クリスチャンの常識は世間の非常識?

この話を読んだ時、ぼくはとても賛成してしまった。賛成しかなかった。
だってこれ、クリスチャンがよくやることだと思う。

たとえば教会の行事で誰かがすごくがんばってくれたというときに、その行事のシメのお祈りで「神様、〇〇さんのがんばりを感謝します」みたいな祈り方をしてしまう。
確かに、〇〇さんが教会にいてがんばったことは、神様がその人を教会に与えてくれたことだから、感謝するのはわかる。
でも神様にだけ感謝して、〇〇さんに感謝しないんだ?

聖書に「誇る者は主を誇れ」と書いてあるから(コリント一1:31)、個人の名誉を認めるようなことは正しくない、という考え方もあります。
でも聖書には、働いた人が報酬を受けるのは当然ということも書いてある(ローマの信徒への手紙4:4)。がんばった人に「がんばってくれてありがとう」と言うのは間違いなのか?

だいたい、「友だちが親切にしてくれたことを神様に感謝します」なんていうことを、友だちにわざわざ書く必要ないよね。そんなことは、あなたがあなたの神にだけ言えばいい。それをわざわざ書くというのは「わたしは人に感謝しません、すべての感謝は神にささげます」という自己満足なアピールじゃないかな。
もし「人に感謝するのは間違いだ」というのがキリスト教なら、そんな宗教の方が間違ってるんじゃないだろうか。

パウロのスタイル

ヤン・リーフェンス『使徒パウロ』スウェーデンナショナルミュージアム

今週からローマの信徒への手紙を読んでいきます。パウロがローマのクリスチャンたちにあてて書いた手紙です。
ヤン・リーフェンスの『使徒パウロ』は、途中まで書かれた本が描かれていて、パウロがどこかの町の教会への手紙を書いている様子に見えます。

ローマのクリスチャンたちへの手紙の最初でパウロは、挨拶の言葉のあと「イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。」と書いています。
「わたしの神様、ローマのクリスチャンみんなことを、キリストであるイエス様のお名前で感謝します」という祈りです。

なぜ感謝しているかというと、ローマのクリスチャンたちの信仰が全世界に言い伝えられているからだと。彼らがパウロと同じように、主を証しし、主を宣教していることを、ローマのクリスチャンたちがイエス様を伝えることをがんばっていることを、感謝している。

でもそれだけじゃない。パウロは「わたしが祈る時はいつもあなたたちのことを思い起こしているよ」ということも書いてる。
「あなたたちががんばっていることを神様に感謝」しているし、そして「がんばってるあなたたちに神様がよくしてくださるように祈っている」と。
このセットが大事なんだと思うだ。

最初に上げた例でいうと、泊めてもらった人が書いた手紙がこういうふうだったらどうだろう。
「泊めてくれた親切なあなたに、神様が親切にしてくださって、よいことがたくさんありますように。あなたのような親切な友達を私に与えてくださった神様に感謝します。」

イエス様のスタイル

神様を信じて、神様を愛するなら、神様に対する態度というものがある、ということを聖書はたくさん教えている。
でもイエス様は、神を愛し、隣人を愛しなさいと教えたよね。人を愛するなら、家族や友達や周りの人を大切にするなら、その人たちに対する態度というものがあるはず。
たとえば「私の感謝や私の愛は、すべて神様へのものです。あなたへの分はありません」なんていうのは、なんかおかしいよね。

イエス様もファリサイ派の人たちにこう言ってる。
「父と母を敬えという十戒の言葉について、親を敬う分も神様を敬えば、親にはもう何もしなくていい、なんてあなたたちは教えてるけど、それ正しいと思う?」(マルコ7:10-13を要約)
ぼくたちは神様を敬う。でもその神様が「父と母を敬いなさい」と言ってるのだから父と母も敬うのが正しいはずだ。

「敬う心はすべて神様へ」というのは、人を敬わなくていい理由にはならないと思う。
神様やイエス様を言い訳にしちゃだめだ。
まず神様を愛すること。そして自分を愛するように人を愛すること。どちらも大切にしよう。

福音って何?

今日から6月まで、パウロが書いた「ローマの信徒への手紙」を読んでいきます。
今日の個所の続きではパウロはこう書いている。

ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。
わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。

ローマの信徒への手紙1:15-16(新共同訳)

「ギリシア人」というのはここでは、「(ギリシア語を使う)ローマ帝国の人々」という意味で、ユダヤ人以外の異邦人を指しています。だからぼくたちも含まれている。
だからパウロが言っているのは、「福音は、ユダヤ人から始まって日本の異邦人まで含めて、信じるすべての人が救われるための神の力だ」ということです。

パウロに神様が与えた使命は、異邦人にイエス様を伝えることでした。
でもパウロは、異邦人だけでなくユダヤ人も救われるということをずっと大切にしていたし、そのことはローマの異邦人クリスチャンたちにむけたこの手紙でも何度も書いてるんだ。
キリスト教には「イエス様を十字架で殺したユダヤ人が救われることはない」という考え方がずっとあって、今もそう考えている人もいます。でも聖書はそう言ってないということはおぼえておいてください。
「ユダヤ人は救われない」と思って聖書を読むせいで書いてあることの意味がわからなくなることがあるからね。
神様の言葉である聖書は、まるごと大切にしよう。

動画版のご案内

このnoteの内容は、2023年4月16日の教会学校動画の原稿を加筆・再構成したものです。
動画版は毎回6分ほどの内容です。下記のリンクからごらんいただくことができます。
キリスト教の信仰に不案内な方、聖書にあまりなじみがない方には、説明不足なところが多々あるかと思いますが、ご了承ください。
動画は千葉バプテスト教会の活動の一環として作成していますが、内容は担当者個人の責任によるもので、どんな意味でも千葉バプテスト教会、日本バプテスト連盟、キリスト教を代表したり代弁したりするものではありません。このnoteの内容は完全に個人のものです。


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