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キリストは外国の神ではない【エフェソの信徒への手紙2:11-22】【やさしい聖書のお話】

クリスチャンが神の民?

ぼくは両親ともクリスチャンで、0歳の時から教会に行っていました。教会幼稚園に入園して、小学生からもずっと教会学校に行っていました。そして、イエス様が十字架で死んだのは、ぼくの罪のためだったということを教わってきた。

でも一方で、イエス様大好き少年になったぼくにとって、イエス様を殺そうとしたファリサイ派とか律法学者とかは敵。
イエス様がつかまったのは、ユダが裏切ったせい。
イエス様が十字架につけられたのはピラトがちゃんと裁判しなかったせい。
そしてピラトにむかって「イエスを十字架につけろ」と言い続けたユダヤ人たちのせいで、イエス様は十字架で死んだ。

アタマでは、ぼくの罪がゆるされるために、ぼくのせいでイエス様は十字架で死んだってでわかってる。
でも心では、ユダが裏切ったせい、弟子たちが逃げたせい、ピラトのせい、そしてユダヤ人のせいって思ってしまう。

だいたいさあ、ユダヤ人とかイスラエルって何なの?
旧約聖書では何度も何度も、神様を裏切ったり約束を破ったりして、神様をがっかりさせて悲しませて、神様に叱られてもまた裏切ってさ。
新約聖書でも、神様であるキリストがこの世に来たのに、「偽物の救い主だ」って十字架で殺してさ。

そうしたらある時、「キリストの教会こそ、ほんとうのイスラエルなんだ。ユダヤ人ではなく私たちクリスチャンが神の民なんだ」という説を聞いたんだ。
アブラハムの子孫であるイスラエルは神様を裏切り続けたために、神様から捨てられてしまった。神様がアブラハムに約束したことは「本物のイスラエル」であるキリスト教会が受け継いだんだ、って。
だから、聖書で神様がイスラエルに恵みや祝福を約束しているところは、「イスラエル」って書いてあるのを「教会」に置き換えて読むんだ、って。

なるほどそうだったのか、って思ったよ。 謎はすべてとけた、とか思った。
でも「イスラエル」は「教会」に置き換えるなんていう説は大間違いだったんだ。

クリスチャンも神の民!

イスラエルは神から捨てられて、教会に置き換えられた、というのが正しいとすると、今度は聖書が間違っていることになってしまうところがたくさんある。たとえば、

異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。

エフェソの信徒への手紙3:6(新共同訳)

「わたしたち」というのは、パウロを含むユダヤ人。
「異邦人」というのは、ユダヤ人以外ということ。エフェソ教会は異邦人クリスチャンが中心だったし、そしてぼくたちも異邦人だ。
その異邦人が「神様に約束されたものを、わたしたちユダヤ人と一緒に受け継ぐ者」になるって、はっきり書いてある。
「異邦人が、ユダヤ人に代わって、約束を受け継ぐ者になる」なんて聖書のどこにも書いてないんだ。

「(異邦人の)教会」で「イスラエル」を置き換えるんじゃないんだ。
「(異邦人の)教会」は「イスラエル」に入れてもらったんだ。
ぼくら異邦人クリスチャン「が」神の民なんじゃなくて、
ぼくら異邦人クリスチャン「も」神の民なんだ。

神の民ユダヤ人と異邦人クリスチャンが一つにされる

今日の聖書箇所はエフェソ2章の後半なんだけど、そこにはこう書いてある。そのままだと言葉が難しいのでちょっと言いかえると↓な感じ。

あなたたちは肉によれば(出身は)異邦人だった。
割礼(神様と約束したしるしとして体にキズをつけること)をしているイスラエル人からすれば、「体に割礼のキズがないやつら」って呼ばれてた。
アブラハムの子孫ではない異邦人は、イスラエルの救い主であるキリストと関係ないし、神の民イスラエルと関係ないし、神様からの約束と関係ないし、つまり何の希望もない「神を知らない連中」でしかなかった。

でもそういう、神からも神の民イスラエルからも遠い存在だったあなたたち異邦人が、キリストの十字架の血によってメチャ近くなった。

キリストが、「あなたたち異邦人」と「わたしたちユダヤ人」という二つの、全然別々に生きてきた人々を一つにしたんだ。
キリストが、「異邦人」と「ユダヤ人」の両方を「一人の新しい人」につくり上げて、平和を実現したんだ。
キリストが十字架によって、「異邦人」と「ユダヤ人」まるごと、神と仲直りさせたんだ。
神様であるキリストがこの世に来てくれて、「前から神様を知っていたユダヤ人」にも、「神様から遠く離れていた異邦人」にも、神様がくださる平和という福音を知らせてくれたんだ。
だから私たち両方、「ユダヤ人」も「異邦人」も、唯一の救い主のキリストによって、唯一の聖霊様に結ばれて、唯一の父なる神様に近づくことができるんだ。

キリスト教は長い間、「キリストを殺したユダヤ人」言い換えると「神を殺したユダヤ人」を迫害してきた。中東問題は「イスラエルとアラブ諸国の争い」とされて何度も戦争になり、パレスチナ人によるイスラエル市民へのテロ攻撃が繰り返されてきたけど、でもユダヤ人をもっとも苦しめ、殺し、奪い、踏みにじってきたのはクリスチャンだ。
ローマ帝国によって滅ぼされたユダヤが現代にイスラエルという国を再建国したのは、奇跡といっていいほどアリエナイとで、これは神の御心だという人もいる。実はユダヤ教の超正統派(ウルトラオーソドクス)という人たちの中には「再建国は、神の御心によって実現したのではなく、人の軍事力で実現したものだ」という声もあるのだけど、でもそういう人たちも考える人たちもいるのだけど、でもそのようにいう人たちも「現代にイスラエルという国ができたことで、私たちがここで生きていいんだという場所ができたことは、神に感謝する」と言っている。ユダヤ人は世界中でクリスチャンからひどいめにあわされ続けてきたからね。
新約聖書は「神はユダヤ人を捨てていない」ということ、「神の民であるユダヤ人に、異邦人クリスチャンたちが加えられた」ということを伝えているのに、クリスチャンたちはそれを無視して、「ユダヤ人がキリストを殺した。キリストの十字架は(私たちの罪のせいじゃなくて)ユダヤ人のせいだ」と言って、ユダヤ人を迫害し続けてきた。これは昔の話じゃなくて、現代でもヨーロッパやアメリカで反ユダヤ主義が続き、クリスチャンがユダヤ人を攻撃し続けている。「私たちこそ神の民だ。ユダヤ人は神の敵だ」と言って。

でも聖書は、キリストによって「異邦人クリスチャン」と「神の民ユダヤ人」がひとつにされたって言ってるんだ。

異邦人はもう、外国人ではなくなった

ぼくら異邦人クリスチャンが「神の民」に入れられたということは、ぼくらはもう「主と関係ない外国人」ではないということだ。
ぼくら異邦人クリスチャンは、「ユダヤ人に替わって」神の民になったんじゃなくて、ユダヤ人と共に「神の民」に入れられた。

だからぼくらにとって、キリスト教は外国の宗教ではなく「ぼくたち『神の民』の宗教」だ。そしてキリストも外国の神様ではなく「ぼくたち『神の民』の神」だ。
日本人もフィリピン人もアメリカ人もヨーロッパ人も、韓国や中国そのほかアジアの人々、ロシア人もウクライナ人も、キリストによって「聖なる民イスラエル」なんだ、「神の家族」なんだ。
 
大事なことだから何度でもいうよ。
教会がイスラエルに置き換わったんじゃなくて、ぼくたち異邦人が神の民イスラエルに入れてもらったんだ。聖書はそう言ってるんだ。

クリスマスのできごとで、イエス様は「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」だ。十字架のできごとで、イエス様は「ユダヤ人の王」として死んだんだ。
もしここで話が終わってたなら、ぼくたちと「ユダヤ人の王イエス」は何の関係もない。でもぼくたち異邦人もキリストによって「神の民」に加えられた。だから、ユダヤ人の王、イスラエルの救い主であるイエス様が、ぼくたちの王、ぼくたちの救い主なんだ。
キリストは永遠に変わらない。変わったのは、キリストによって「ぼくたち異邦人と、神の民ユダヤ人が、ひとつになった」というところなんだ。

いろいろな説があるけれど、ぼくたちはまず、聖書になんて書いてあるかを大事にしよう。

動画版はこちら

この内容は、2022年7月10日の教会学校動画の原稿を加筆・再構成したものです。
キリスト教の信仰に不案内な方、聖書にあまりなじみがない方には、説明不足なところが多々あるかと思いますが、ご了承ください。

動画は千葉バプテスト教会の活動の一環として作成していますが、このページと動画の内容は担当者個人の責任によるもので、どんな意味でも千葉バプテスト教会、日本バプテスト連盟、キリスト教を代表したり代弁したりするものではありません。

動画版は↓のリンクからごらんいただくことができます。


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