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思わず「あほ」と言った

人に、面と向かって「あほ」とは、言ってはいけない。悪意を持って、使ってはいけない言葉だ。
自分が失敗やへまをしてしまい、そのことに対して「うわ、あほなことをしてしまった」とか、「アホだった」と言うことはある。(言い方はあほでも阿呆でもアホでもいい)
この場合は、ただ自分のしてしまった失敗に対して、慰める為に使う薬のようなものだ。
あえて好ましくない言葉を使って自分を評価しつつ、その上で慰める。そこには人情と優しさが入っている。
しかし、ベタな関西人が日常的に使っていそうな「このどアホ」や「この阿呆が」等は、絶対に使ってはいけない類の言葉だ。
この場合の表現は、人を人としてみていないような、単に相手を罵倒する為だけの暴力的な言葉だからだ。そこには、悪意しか感じられない。
他人や物事に対して「あほ」という言葉を使う時は、愛や優しさが含まれていることが必須である。
無意識にあほあほと人に言ってしまうこと、これは良くない。

しかし先日、こんな出来事があった。
家の中で息子はパフィンが描かれたコップで水を飲むのだけど、その日の前日はペットボトルを使って飲んでいた。それは私が外出の際、水筒を洗わずその代わりにペットボトルに水を入れて出掛けたからだった。(水筒のストローを洗うのはすごく面倒)
リビングルームでテーブルの上のコップの水を飲んだらと言うと、その時コップに水は入っておらず、息子は自分で取りに行くと言い、ペットボトルを持って来た。どうやらそのテーブルの上のコップに、水を注ぐらしい。
そのことに特に気を留めずに見ていたら、それは一瞬の出来事だったけど、あっと驚くことが起きた。
コップに水が満たされた後も、ペットボトルの中が空になるまで水を注ぎ続けたのだ。もちろんコップから水はゴボゴボと溢れ出て、テーブルとその辺りは水浸しになった。その間は時間にして、3秒程だったと思う。
息子がそうしたのは、当然だといえる。だって、一度も息子に「コップに水は溢れさせないでね、ペットボトルの中は空にしなくていいよ」と、丁寧に説明したことはないからだ。
コップに水を溢れさせてはいけないというのは、私たちが快適に生活する為の、暗黙上のルールだ。
ただ、息子にはそのことについての経験値が少ない。少ないというか、無いに等しい。
なので、ペットボトルの水がドボドボとコップに流れていくのを、息子はじっと無表情で眺めていた。

これから先、息子にはいろいろな経験値を積んでいくことが必要で、私たちからすれば毎日の普通の生活であっても、真新しいことがたくさんある。
毎日が、冒険なのだ。それは私も理解している。理解はしているが、である。

この、たった3秒間の出来事。側で見ていた私は、その場に凍りついて言葉を失ってしまった。そして、咄嗟に口から放ってしまった一言。

「あ、あああ……あほぉ!」

そう、思わず「あほ」と言ったのだった。
何かを言おうと反射的に言葉を探すも、他に適当な言葉が見つからなかった。
別にすごく怒るようなことではないし、でも私からすればありえない行為。そこで出てきた言葉が、「あほ」だった。
でもこの時の「あほ」の言葉は、愛があってこそのあほだと思っている。
息子が水をドボドボとコップに注ぐ姿は、ただただ愛しかった。本当に純粋でできていた。かわいい、ありえない出来事の共存。
意識下の無意識で言ってしまったのだけど、他に当てはまる言葉がその場にはなかったように思う。
夫が、「あほ~、ハハハハハ!」と言っていた。

愛を持って「あほ」と言えるように。
この先も、たくさんの息子の日常の冒険を一緒に楽しみたい。


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