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自然と体から発していたボディーランゲージ

我が家のベランダの目の前に、木が立っている。その木には今、キジバトがいる。約一ヶ月前に姿を現して以来、そこに巣を作って居を構え、時々ポオォ~ォと鳴いている。

先日、12日間の休暇を取り、フランスに行っていた。家に帰ってくると、キジバトは同じ場所にいるのだけれど、巣からはちっとも離れず動かない。どうやら、抱卵しているらしい。このことを、夫に伝えた。「トゥトゥレル(フランス語でキジバト)が、巣から動かないよ。どうやら、卵を産んで、座ってるみたい」。
私は特に何も考えずに、さらっとそのことを伝えたつもりだった。しかし言葉を発した直後、夫が私にこう言った。「卵を産んで座ってるって、体も同じように言ってるよ!」「卵を産む、座ってる、そのものだ!!」だって…。

卵を産むという仕草ではお尻を突き出して、座るという仕草では腰を屈める。どちらも、話すと同時に体が動いていたようなのだ。

そのことを聞いて、私はめっちゃくちゃに恥ずかしかった。顔が真っ赤になっていてもいいくらいだった。本当に本当に、恥ずかしかった。
夫にしてみれば、私のその姿はかわいく映ったのかもしれない。しかし、どんなにかわいかろうが、恥ずかしいものは恥ずかしい。自分にとってはそんなの、全然かわいいとは思えない。その一連のシーンを巻き戻して想像してみたら、やっぱり嫌だ。

言葉だけで十分に伝わるのに、必要のないボディーランゲージを発していた私。日本語だったら、恐らく体は動いていなかっただろうとは思う。それでも、その原因は、私の性格にある。日常生活の中で、必要以上にの大袈裟な反応をしてしまうのだ。例えば、大したことでもないことを表情つきで「え~~?」っと言ってしまったり。いや、本当に心の中は驚いているのかもしれないが。

とにかく、何かに対して大きく反応をしてしまうということが、私の性格にある。何故なのか?それは、わからない。わからないけれど、別にわからなくてもいいことなのかもしれない。夫が言うに、私の母もよく「え~~?」と言うらしい…。

これはもう、個人の単なる癖なんだと思う。癖は、ある人には不快に感じるだろうし、私の夫のように不快ではなく面白がるような人もいる。自分と同じような癖を持つ人を、私個人的にはどう思うかというと、特に何も思うことはない。
そんなふうに、私たちはみんな、いろいろな癖を持っている。もし、この癖がなくなってしまったら、毎日の生活はきっと味気ないものになるだろう。それだと、ただの言葉のやり取りになってしまう。直接に話すことなく、機械が代弁したっていい。そんな世界にはいたくないよなあ、と思う。

ここで私は何を言いたかったのかというと、自分の癖は受け入れて生きよう、ということだ。自分の意に介さない自分の癖だって、他人からすると、嫌なものではないかもしれない。自分の癖を愛すことはできないけれど、まあ別にあってもいいのかなと。
みんなそれぞれに癖を持って生きて、それが面白い。

しかし、思い出しても、やっぱりあの時の自分の姿は見たくはないなと思う。

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