ラジオをまた聴くようになった
去年の夏ぐらいから、またラジオを聴くようになった。
模型コンテストの締切近くで切羽詰まっていて、作業用BGMが欲しかったことがきっかけ。周りもラジオの話題が増えてきていた。
「また」というのは、高校生〜大学生ぐらいの頃にもハマっていた時期があったから。当時はニッポン放送夜22時〜24時のオールナイトニッポンSUPERが月曜ロンドンブーツ1号2号、火曜がT.M.Revolution 西川貴教さん、水曜がゆずという自分の中で凄い時期だった。ゆずのオールナイトニッポンは毎週聴いて、番組本も買っていた。当時テレビでの露出がほとんど出てなかったゆずの2人を唯一知れる場だった。ラジオなのに罰ゲームのからしモンブランを食べて動きのあるリアクションをするような、そんな素敵な番組だった。
あとは兄の影響でTBSラジオの「コサキンDEワァオ!」という小堺一機さんと関根勤さんの番組も聴いていた。多分この頃から「くだらない笑い」が一番好きになったんだと思う。笑いの大ベテラン2人のくだらないトーク、何時間でも聴けたし、毎週腹痛くなるほど笑った気がする。
それから十数年経ち、ラジオをまた聴くようになった。
アルコ&ピースのD.C GARAGEとハライチのターンは毎週欠かさずに、あとは時間の余裕に合わせて佐久間さん・オードリーのオールナイトニッポンや南海キャンディーズ山里さんの不毛な議論、鬼越トマホークゲスト回の爆笑問題カーボーイを聴いている。
ここ数年で、視聴環境はradikoによって大きく変化していた。
広告代理店の営業としてラジオ局さんを担当していた時に聞いたのは、「そもそも今の人はラジオの聴き方を知らない」という課題だった。ラジオってどうやって聞くんですか?と問い合わせが実際に来たこともあるという。
確かにラジオを聴けていたのは実家にラジカセ的なものがあったからだ。当初は深夜ラジオをカセットテープに録音しテープが折り返しの数十秒間は録音できない問題があり、その後MD録音で解決した時は感動したものだったが、そんなエピソードはもう存在し得ない環境になっていた。
それが今や、radikoによってほとんどの人がラジオを聴ける端末を持ち歩き、家ではAmazon Echoに呼びかければラジオが聴けるのだ。実は過去最大級にラジオを聴けるものを全員が持っている時代になっている。radikoに可能性を見出し、賭けてきた方々には頭が上がらない。しかもこの手のステークホルダー多い系のアプリでちゃんと使いやすいアプリというのは超希少!
radikoによってラジオそのものの触れ方が再定義された。最近TVerにも似たような可能性を感じている。千鳥の相席食堂が大好きなのだが、これはABCの番組で東京では放送されていない(一時期MXで遅れで放送されていたけど)。放送されていないからTVerで観る。回の限定はあるが、各動画配信サービスでも観ることができる映像コンテンツだ。radikoのように、テレビをありきとしないTVerの使い方/使われ方は、今後の日本のテレビへの示唆に富んでいると思えるのは私だけだろうか。
radikoとTVerによって、ラジオとテレビは初めてちゃんとネット上でシェアできるようになった。茶の間が消失し共有地を作ることが出来なくなったマスメディア。しかしまた、新たな共有地が生み出されるスタイルが芽吹いてきている。
「相席食堂の杉ちゃん回がヤバい」とか「今週の佐久間さんのオールナイトニッポンが地獄だった」とか、かつて学校の教室でしていたような会話が出来る。しかも、その話を聞いてから番組を聴く/観ることが出来る。むしろ、どうしてそれが出来なかったんだろう。何年もずっと言っていた「テレビとネットの融合」でこの視点が無かったのは何故なんだろう。
だって僕らは面白かった話を友達とただずっとしていたい、それは変わっていないのに。
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