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さみだれ

さみだれは、5月に降る雨のことだと思っていたが、そうではないらしい。
じゃあいま私の目の前で降っている雨はなんという名前なんだろう。

久しぶりに「寝た」という感覚がする。
時計は10時をまわっていた。

ちゃんと寝たからなのか、頭が冴えている。
昨日の出来事も、数年前の出来事も、最近よく見るアニメも、
出来事たちから考察される何も変わらない自分の性格も、
そしていま、性格がどうせ変わらないだろうなという推測も、
時計の秒針が再び12に戻ってくるまでに出て、消えていく。


昨日の出来事というのは、とあるお渡し会だった。
ビルの8階の書店の一角で、
サイン入りの本を渡してもらいながら30秒ぐらいお話する機会。

3秒ぐらいで、チケットは売り切れたと聞いていた。
パソコンと時計とインターネットが友達だとこういうときに有難い。
必ず味方になってくれる。今回もそうだ。
あ、あとクレジットカードも。毎度ありがとう。

しかし、実際のお渡し会に友達はいない。
過去のお渡し会のレポートを見て、手紙と推しの写真だけ用意した。
推しの写真を見せれば会話が弾むだろうし、神対応してくれると思った。

そうじゃなかった。

自分の声が小さかったのか、
あまりに暗いオーラでも出していたのか、
待っている後ろの人が知人だったのか、
「お時間でーす」という声もなく
「本良かったら読んでください」の一言で終わってしまった。

自分の名前も、
もうすぐ海外に行くことも、
前回のオンラインお話会で元気をもらったことも、
大好きです、応援してますの言葉も、
何も言えなかった。

プレゼントBOXに入れた手紙に託すことになった。


帰りの電車の中で、
どうしていつも思いが自分の声にならないんだろうと考えていた。

自分がおぎゃあと泣いてから、数十年。
後悔することのほとんどは、自分の声が出なかったことに対してばかりだ。

数年前、過去一好きだった人への告白も
手紙だった。

直接、自分の声で伝えられたらどうなっていただろうか。

君の声はどのように自分の耳へ返ってきただろうか。

最近、毎週映画館に通って見ている劇場版のアニメも、父が久しぶりにハマったアニメも、
「直接言え。周りに頼るな」と言っているのに、
わたしはどうしてできないのだろう。


もしも数年前の自分と対面できるなら、
「自分の口からなんて言えない」と嘆く私に
「逃げるな!」とアニメの主人公のように叫びたい。


自分の声で伝えるんだ。


とはいえ、この文章ですら自分の声を使ってないんだよな。

どうも変わらない自分の性格にため息をついた。

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