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「お犬さま」の地を歩く

五代将軍綱吉が出した「生類憐れみの令」は、江戸時代の「天下の悪法」と習った覚えがある。「人間よりも犬を大事にするとは、なんという殿様!」としか思わなかったが、最近は歴史の見直しが進んでいるらしく、悪法とばかり言えないと教科書にも書かれている。

犬だけでなく、あらゆる殺生が禁じられ、飼っていたアヒルを襲った犬を殺したら切腹、釣りをしたために流罪、ということもあったらしい。家康が好んだ鷹狩りもすっかり廃れてしまった。綱吉は、世継ぎになるはずだった子供が幼くして亡くなった後、高僧から「世継ぎを得たければ殺生を慎むように」と諭され、自身が戌年生まれだったために、犬をとりわけ大事にしたとも言われている。

地元の方やゆかりをお持ちの方はよくご存知だろうが、都内に「生類憐れみの令」に関わる地が3カ所あると知って、休みの日に訪れてみた。病気の犬や捨て犬が保護されていた広大な「犬屋敷」のことで、中野、大久保、四谷にあったと記録にある。

まずは大久保。大久保よりもやや東寄り、最寄り駅は都営大江戸線若松河田駅で、新宿区立若松区民センターの当たりに案内板が立っていた。神社の東側一帯と、小学校と警視庁機動隊の敷地一帯を合わせて、2万3000坪。つまり、東京ドームの建築面積にして約1.6倍の広さに10万匹(!)を飼っていたのだそうだ。この看板以外に「犬屋敷」の名残を示すものは何もないが、こんな住宅地に犬が走り回っていたのかと思わせる。

四谷の「犬屋敷」はJR新宿駅南口の駅舎やバスタ新宿の当たりだそうで、「犬屋敷」だったことを示す看板もなにもない。たくさんの人で混雑していているところで、新宿駅に犬が走り回っている様子はちょっと想像できない。さっさと写真だけ撮って次に回る。

中野の犬屋敷は「御用御屋敷」、柵で囲われていたので「御囲場」などと呼ばれ、調べてみると、いろいろ合わせて約10万坪、東京ドーム11個分(!!!)というとてつもない広さだった。「中野学校」を含む陸軍施設があったところだ。中野サンプラザ隣の中野区役所の敷地に、ここに犬屋敷があったと書かれた案内板があった。狂犬病などの病気を持った野良犬が街をうろつかないようにしたり、捨て犬を保護したりしたそうで、特に繁殖を阻止するため雌犬が多数収容された。犬奉行の下に多数の役人がいたらしい。

ネットでみた写真には、この案内板のそばにブロンズ製らしい何頭かの犬の像が写っていたが、行ってみたら、ない!!工事用の柵が置かれ、犬の像が忽然と消えていた。

よく見ると、「区役所移転のため、一時的に撤去した」と書かれた「お知らせ」があった。5月に近くに建てられた新区役所に移転する予定になっているようなので、犬もそちらに引っ越しするのだろうか。

生類憐れみの令の対象は、犬だけでなく、猫、馬、牛、鳥、魚など動物全般に及び、動物愛護令のようなものだったことは想像できる。ところが、それだけでなく、人間も対象の含まれていたのだそうだ。捨て子、高齢者、病人らを保護するよう求める社会福祉的性格も持っていた。それまでは子供を遺棄することが普通に行われていたとされ、それはそれで驚きだが、いずれにしても、これ以降、そういうことはしてはならないという認識が広まったのだそうだ。犬屋敷が設けられたのも、それまでの食犬の風習が廃れ、江戸の町中に犬が増えすぎ、野犬公害も拡大したことがあったようだ。そう考えると、綱吉の「天下の悪法」もそう単純な話ではないことが分かった。


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