タイムスリップして新卒社員になった織田信長が合コンに参加したら
大きなガラスの向こうで、グロテスクな模様の熱帯魚が泳いでいる。信長はバーニャカウダのタレを暖める固形燃料の火をぼんやりと眺めていた。
同期の鈴木くんに誘われ、男と女とが共に酒を酌み交わす宴、合コンに信長はやってきたのである。
鈴木くんが週末に参加しているフットサルサークルのメンバーの女性と、その会社の同僚と、その幼なじみの三人が相手メンバーである。こちらは鈴木くんに、一年先輩である営業の田中さん、そして信長である。
ネオンとヘッドライトが街を艶やかに照らす金曜午後七時二十五分。合戦を告げる法螺貝の音が低く街に響く。
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「まじ信長だ、ウケる!」「ホトトギス、ちょ〜ウケるんですけど」「ちょんまげじゃ〜ん」
合コンは信長の話題を中心に進んでいく。話題というより、嘲笑に近い雰囲気で。フットサル女とその同僚は、ことあるごとに信長の奇異さを笑った。彼女らと信長とでは、価値観の差は安土の石垣よりも高く、信長は鳴き続けるホトトギスを前に、ただただ曖昧な相槌を打ち続けた。
社内でもチャラいと言われている営業の田中さんも、流石に彼女らの勢いの前に言葉数が少ない。田中くんは宴を用意した手前、彼女らと我々の両方に気を使いながら半ば投げやりなフォローを続けている。その半端な対応のせいで、場はますます彼女らの独壇場になっていく。唯一、フットサル女の幼なじみの女性だけが、時折困ったような視線を信長に投げかけてくる。
壁に埋め込まれた水槽に色とりどりの熱帯魚がうつろに泳ぐ。この狭い世界の中で、彼らは遠い海を夢想しているのだろうか。
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「三番が切腹よろ〜」
フットサル女が、ゴキゲンな声でいった。
いつのまにか始まった、王様ゲームの名称が殿様になっただけの「殿様ゲーム」。ゲームのルールがわからず、信長は出された割り箸に書いてある「三」という文字を見て思わず声に出して読んでしまった。殿様にあたったフットサル女は、もちろん信長が三番であることをわかった上で、切腹という命令を出したのだ。
切腹とは「自身や臣下の責任をとり、自身の身を以て家の存続を保とうとする行為」である(wikipedia)。それは侍にとって重く切ない言葉で、酒の席で浮かれて口にする言葉ではない。バーニャカウダのタレを温める火のように、信長の中で何かがゆらりと燃え上がる。信長はホトトギスをどうしたか、彼女らは知っているのだろうか。
信長が椅子の下のカゴに入れた脇差しに手を伸ばしかけた時、鈴木くんが立ち上がった。
「俺、やりますから。切腹、やりますから。」
彼女らに対する憤りと、自分への不甲斐なさでいっぱいになった鈴木くんは、うつむき加減で、机に両方の拳を突き立てるような形で立っている。ぽかんと口を開いている女達をよそに、鈴木君は机の上にあったピザを切る歯車型のナイフを手に取り、店中に響き渡る声で叫んだ。
「切腹、やりますからー!」
それは何故か、かつて流行したギターを持った侍のイントネーションだった。
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営業の田中さん、信長、そして店員さんによって止められた鈴木くんの切腹騒ぎのせいで、合コンは明確な仕切りもないまま終わりを迎えた。
鈴木くんは少し向こうの自動販売機の脇に座り込み、田中さんに肩を叩かれてる。外の空気は冬の気配を帯びて、しっとりと冷たい。
「大変でしたね」
振り返ると三人組の一人、フットサル女の幼なじみの女性が立っていた。終始、信長に困ったような顔で目線を投げかけてくれた彼女だ。彼女は今日のことを謝ってくれた。友人らには悪気というものはなく、ただただああいう人達なのだと。
彼女が謝る姿を見ていて、信長は腹を立てていた自分を省みた。小さなことに囚われていては、天下を治めるような大望は叶わない。彼女の謝罪が、天下を目指していた頃の気持ちを思い出させてくれた。
別れ際、彼女はマフラーから顔を出しながらこう尋ねた。
「信長さんは、やっぱり火縄銃がお好きなんですか?」
綿のような雪が、二人のあいだにひとつだけ舞い落ちた。
「ですね」
と信長は微笑みながら返事をしたあと、今日の礼を言ってその場を後にした。
鈴木くんと田中さんと別れた後、信長は隣の駅まで少し歩いた。コートのポケットには、何故かピザを切る歯車型のナイフが入っていた。金具の部分がひんやりとしている。信長はそれを取り出して、歯車の部分を人差し指でくるりと回してみた。その瞬間、スモッグの上の夜空に、星が流れた気がした。
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