スーア先生の恋

私はその男の写真を3葉みたことがある。

1葉は、その男の最初期、というか、今から3ヵ月ほど前の写真で、チェス盤の向こうに白い名前を付けた男が立っていた。

もう1葉は、寝ている写真。男はベッドで寝ているが、そのそばには複数の文字が浮かんでいる。

最後の1葉は掲示板に張られていた。あられもない男の姿だ。

私は1葉目のころは知らず、2葉目から3葉目の間に時期にその男と出会った。






第1の写真

イベントが始まってから20分ほど経ったとき、ひとりのユーザーがインスタンスにジョインしてきたのに気がついた。イベントカレンダーにも載せていない小さなイベントにたったひとりで訪れるなんて。間違いない。新しい遊び相手なんだ。スーア先生たちはそう思った。

21時の少し前に開かれたインスタンスに、スーア先生をはじめとする主要メンバーが少しずつ集まる。今日はチェスをやろう、将棋をやろうと、はじめは不定期にボードゲーム好きが集まっていただけだったが。スーア先生たちのうちの誰かが定期的に開催した方が集まりがいいと言い出し、イベント『ボードゲーム倶楽部』ができあがったのだった。

そのユーザーはネームプレートにtunaと書かれていた。

こんばんはtunaさん。スーア先生たちがチェス盤越しに声をかけると、tunaさんはシャープかつ高い声で「こんばんは」と言い手を振った。高身長でリアリティ感のあるアバターだった。でも日本人好みの可愛さとは言い難い。チェス盤の向こうから注がれる視線に気が付いたのかtunaさんは戸惑いをみせた。「おかしいですわよね、こんなアバター」

そんなことないよ、似合ってる。わたしたちだって、ほら、ね、声は男だけど、女の子のアバターを着てる、おんなじじゃん。スーア先生たちがそう言うと、「ありがとうございますわ」と丁寧な言葉が返ってきた。

まあまあ、入口で立ち止まってないで、おいでよ。チェスやろ? tunaさんは「はい」と返事をし、申し訳なさそうにチェス盤に向かった。

声質から女性ではないことを察し、ボイスチェンジャー? と尋ねたら「はい」と返ってきた。何使ってるの? 「有料のやつですわ」、バ美声? 「いいえ」「VT-4というものですわ」、tunaさんはローランドというメーカーの2~4万円するボイスチェンジャーVT-4を使っているという。強力で質の良いボイスチェンジャーだ。「地声で可愛い声を出したくて使ってますわ」、tunaさんの言葉にスーア先生たちは興味をもった。おもしろい。もうちょっと詳しく聞かせてよ。マイクは? 裏声出してる?

先輩たちからの要望にこたえてtunaさんは話し始めた。「マイクは13kくらいのものを使っていますわ。こっちはそんなに有名な製品じゃなくて、好きなvtuberさんと同じもの買いましたの。集音性が高いコンデンサーマイクなんです。ポップノイズを軽減するためにガードも使っていますよ。マイクについてはそんなところですかね。裏声は使っていませんよ。女声って筋トレと一緒で、毎日トレーニングが必要なんです。両声類の人ってかなり筋肉質なんですよね。でも、そんなに面倒くさいことしなくても、可愛くなったっていいじゃないですか。地声でも可愛くなれる方法があるなら、そっちに投資した方がいいと思ったんです。だからVT-4を選びましたの。ただマシンスペックがないからAIボイチェンのRVCは使えません。知識がないってのもあるんですけれどね。それに、こっちのほうが個性でるかなって思って」tunaさんは流れるように話し続けた。

……。

『ボードゲーム倶楽部』は、気が付くとイベント終了の時間になっていた。次のイベントあるから、お休みの挨拶まわりしてくるからと、スーア先生たちは散り散りになったのだった。

日付が変わるころ、スーア先生たちのうちのひとりがtunaさんのいるインスタンスにジョインした。

こんばんは、さっきぶりだね。ひとりなの? 
「あ、はい。作業してました」
『ボードゲーム倶楽部』終わったあとずっと?
「ええ」
じゃあ2時間くらいか。
「はい」
ふふ。さっきはボイチェンの話おもしろかったよ。
「そうですか? 喜んでもらえたらなによりですわ」
わたしもわかるな。AIボイチェンは没個性的だよね。それよりtunaさんの方が個性的でいいとわたしは思うな。
「ありがとうございます」
アバターも、そういうのもいいと思うんだよね。
「ええ」
メタバースってさ、もっとダイバーシティっていうの? 個性を尊重していいよね。みんながロリ系の可愛いアバター使わなきゃいけないって理由ないからね。青色の肌もいいじゃん。
「……! そうですよね!」

「やっとわかってくれる人ができた」、tunaさんはそう言って抱きしめた。スーア先生たちの画面いっぱいに、涙目のtunaさんが映る。

大丈夫。みんながどうかわからないけど、わたしはそういうのいいと思うな。
「うん……」
ねえねえtunaさん……。
「はい」
……やっぱり何でもない。
「なんですか、もー」


さっきまであった緊張の糸が緩み、ほどけ、結ばれたような気がした。

それから2人がお砂糖関係になるのに長い時間はかからなかった。







第2の写真

あなたの好きな人は、ただ遊んでるだけ


その日、『ボードゲーム倶楽部』を終えたスーア先生たちはひとりの新人をプライベートインスタンスに呼び出した。新人は予定していた時間よりも数分遅れでやってきた。自分がなぜ呼び出されたのか気が付いてないようで「なんなんですか?」と言い放った。

スーア先生たちには相手を怖がらせるつもりも屈服させるつもりもなかった。ただ軽く注意しておきたかっただけなのだ。
あのね、書置きのことなんだけど。
「は? なんですか?」
だからね、tunaさんがV睡してるインスタンスに、書置きがあったじゃん。
「そうだったんですか」
しらばっくれるの?
「ほんとうに知りませんよ」

スーア先生たちは互いに顔を見合わせた。
……あんたじゃないの?
「だからなにがですか」
違うんならいいんだ。おやすみ。
「待ってくださいよ、気になるじゃないですか」
いいっていってるじゃん。寝な。

新人が立ち去ったあと、インスタンスにはため息がこだました。tunaさんはお砂糖相手のことを本気で、結婚を前提にした、恋人であると思っていた。それなのに『あなたの好きな人は、ただ遊んでるだけ』とtunaさんが寝ているベッドの横にQVペンで書かれてあったのだ。犯人は『ボードゲーム倶楽部』のなかの誰かだということはおおよそ見当はついているが、同期ずれもあって筆跡だけでは判別しがたい。

新人だと思ったのだ。あの新人は以前にも先輩であるtunaさんに対して失礼な態度をとった。遠くから指さして「あのひとのアバター、なんか違くないですか」と言って鼻で笑った。tunaさんがイベント終わりのたびに蛍の光を歌ってくれるのを「急いでるんで、移動します」と言って去っていった。なによりもひどいのは「ボイチェンの話はもういいですから」と言ったことだ。自らtunaさんの発声について聞いておいて「ふーん」とつまんなそうに相槌しただけだったのだ。そのときは口をつぐんでしまったtunaさんに代わってスーア先生たちが話を引き継いだ。vt-4ってのは高い機材で……マイクだってそこらへんのとは違うの使ってるもんね……と確認しながら話した。

犯人があの新人ではないのだとしたら誰だろう。怪しいと思われる人物名をいくつか挙げてはみたものの、犯人を見つけ出したところですでに手遅れだという意見も出た。


次の週、あの生意気な新人とtunaさんが言葉を交わしているところを見たときは少なからず意外に思った。鈍感だからか新人が「tunaさんっていくつなんですか」と聞いた。tunaさんは「内緒ですわ」と答えた。「でも明日、またひとつ歳をとるんです」

その言葉に次のインスタンスを探していたスーア先生たちが顔をあげた。
あ、そうなの。
知らなかった。
おめでとう! tunaさん。
「ありがとうございます、ありがとうございますわ」tunaさんは笑顔で頭を下げた。VRの世界だから、こんなことしかできないんだけど、と、お札のスタンプを送った。tunaさんは「そのお気持ちだけでうれしいです」と言って喜んで受け取ってくれた。

ねえねえ明日誕生日会やろうよ。
「ごめんなさい。明日は用事があるんです」
そりゃそうだ。スーア先生たちは頷いた。せっかくの誕生日、お砂糖相手と一緒に過ごすだろう。

しかし新人は引き下がらなかった。「じゃあ、この後すぐはどうですか?」と続けて聞いた。まったくも急な提案に、非常識さを感じた。だが、意外にもtunaさんは「このあとなら大丈夫ですわ」と答えた。スーア先生たちのうち何人かも予定が空いていたためtunaさんと新人を交えて誕生日会をやることにした。

誕生日ワールドのフレンドプラスのインスタンスを開き、移動した。花火やクラッカーをもちながら誕生日を祝った。tunaさんはハッピーバースデーの歌を歌ってくれた。スーア先生たちも盛り上がってワールドのギミックにあるケーキをtunaさんの顔にあてた。tunaさんが「あはは」と笑うので、スーア先生たちも笑顔になった。元気になってくれてほんとうによかった。







第3の写真


その夜、tunaさんは21時を過ぎても『ボードゲーム倶楽部』に姿を現さなかった。ソーシャルの一覧にはIn a private worldの表記があった。スーア先生たちは知っていた、tunaさんはお砂糖相手と喧嘩しているのだ。新人はスーア先生たちに「毎週欠かさず来てたんですか?」と訪ねた。

うん、いつもは来てるよ。毎回イベント終わりに蛍の光を歌うんだよね。
あれ、初めて聞いたときはびっくりしました。なんか変わった人だなって。
なんかね、歌うの好きなんだって。
歌うのがですか?
うん。……いや待てよ違うな。なんだっけ、
声を聴いてもらうのがだよ。
そうだ、声を聴いてもらいたかったんだ。
tunaさんってボイチェンですよね。
そうボイチェンだね。
ループバック有効にしてないんですか?
それはしてないんじゃない。歌いにくいでしょ。
そもそも下手だし、声も高音がガビガビしてうるさいんですよね。
それが個性なんだよ。
あの話し方は何なんですか? ナントカですわ って。
可愛いじゃん。
お嬢様なんですか?
そんなわけないじゃん。
アバターだってなんか、桔梗ちゃんとかつかわないんですか?
リアルな女性が好きなんだって。
それなのに青肌……。
青肌テクスチャでリアル顔なアバターでガビガビしたボイチェンで下手な歌うたっちゃいけないの?
……
どうしたの?
なんでもありません。
なんで笑ってるの?
先輩たちが笑ってるからです。

スーア先生たちはお互いの顔をみた。誰も笑ってなんかいなかった。

あんたまだ時間ある?
ありますよ。
じゃあ送っとくね。

『ボードゲーム倶楽部』の時間も終わり、ひとり、またひとりとインスタンスを去っていった。さあtunaさんのところに、仲直りに行かなきゃ。


ごめん、待った?
「ぜんぜん。動画見てたから、退屈じゃなかったわ」
最近かまってあげられなくて申し訳ない。
「いいの、私が勝手に病んでいただけだから」
やっぱりtunaさんのことが好きだよ。
「……ほんとう? 私も好きですわ」
……。
「? いま、笑いました?」
いや、こんな真剣なときに笑うわけないじゃん。雑音入っちゃったのかな。
「まあいいですわ」
おいで
「ぎゅーっ……」
ぎゅーっ……


スーア先生たちは笑いつかれた。ごめんなさいDiscordだとマイクの設定違ってて、声大きかったですね。貫通しちゃったかもしれません。危ない危ない。これからが恋の本番だよ。お酒飲みながらさ、楽しまなきゃ。

インスタンス内では彼とtunaさんのふたりっきりだ。

ふたりで抱き合って、愛を確かめていた。

彼は言った。

ねえねえ、JUSTしようよ。




この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
実際のスーア先生は優しい人です。

以下の作品をオマージュしています。
太宰治 「人間失格」
今村夏子「ピクニック」