休職した。

 会社の最寄り駅から動けず、気がついたら自宅に帰っていた、なんてことがなんどあっただろう。有給もなくなり。このまま音信不通になるのも手のうちだが。いくらかあった正気で、休職の申請をした。理由を聞かれても、答えられず。納得のいっていない上司であったが、度重なった休暇取得もあり、働けそうにないことを理解したようだ。代わりに、と紹介されたS区にある診療所へ通うことになった。診療所に向かう途中には踏切がある。希死念慮の弾みを遮断機がおさえてくれなかったらどうなるのだろうと、5歩ほど後退して、電車が通り過ぎるのを待つ。診療所ではいくつか会話したのちに処方の見直しを行った。私が薬剤師の資格をもっていることもあり、なるほど、こっちの薬も気になりますよねなど、提案などもした。医師には仕事のことを考えるのはやめましょうと、そういわれた。人のため、忘れることはできず。何もしていないという罪悪感をただアクションゲームで上位のランクを目指すことで治めていた。無論それは虚無であり、罪悪感を増加させるのみであったように感じていた。食事と睡眠の繰り返し。過眠だが睡眠不足で入眠障害という、睡眠不自由に体力をとられたのか、ほかのやれることもなく、毎日の食事だけが快楽であった。ここでいう快楽は感覚的というよりも物質的であり、食物中の糖質や脂質が受容体と結合しエンドルフィンなど快楽物資を放出させる、おそらくそういった単純な、注射のように使っていた。中間の項を取ることができれば、どれだけよいのだろうと思ったのだが、法律と道徳と立場が許さなかった。もちろん、糖質と脂質が快楽の元で、食事を作る気力もないので、コンビニ弁当、それはよいほうで、デリバリーで中華料理などを頼んでいた。何もできないというのは、ほんとうで。一日はすべて布団の中で完結する日もあった。これは比喩でなく。歯磨きも入浴もこんなに難しいとは思わなかった。あれだけ意欲のあった麻雀もできず。ただ毎日、同じ動画を流しながら食事と睡眠と排泄のみをしていた。ゲームもおもしろくない。動画もおもしろくない。睡眠も不自由。少しの貯金から削り宅配された料理を食べ、うむ、食べてるなと感じる。それくらいしか生きた心地を実感するものがなかった。起きれば希死念慮や罪悪感、焦燥感など頭を支配してくるので、すぐに飲酒をするのがよかった。福祉だった。これでやっと普通の人間へなれるのだと、思っていた。そうそう。休職前からずっと普通の人間という仮想的な脅威に恐れていた。いや大学からか、物心ついたときからか、普通であるべきという圧があった。あったというか感じていたというのが正しい。もっとも感じたのは就活からであったようにも思う。就活で自己分析をする際、筆が進まなかったことから。何がしたいとか、人生の目標とか、そういうのないから。就活の講師が人生の目標から逆算して計画を立てようという。目標なんてないし惰性で生きてきたしこれからも生きていくんだろうなと思っていたのだが、そうではないのだろうか。目標はある。といっても暫定的な、数年後の目標みたいなものだ。学部時代の劣等感を逆転するために有名な企業へ行きたいと弱く思っていた。しかし実際には、業界には入れたものの希望した企業ではないし、収入も低く、知名度もない。就活は負けたと言ってもいいのではないか。負け。負け。負け。卒論も負けたように思い、無事卒業はできたのだが、こんなのただのお手伝いだと、研究なんてしてないと思っていたり。大学後半はひどく劣等感を植え付けられた気がするのだ。それは、目標がなく惰性で生きてきたせいなのか、ただ単純な怠惰なのか。そも、一発逆転思考があって。偏差値の低い高校からそこそこの大学へ行けた成功体験があったので、ならばもう一度と、周りより秀でてたいという欲があったから就活でも上昇志向だったのだろう。もちろん、自分の身の丈に合っていない集団の中に入ってしまったので、6年間劣等感を感じ続けたというのもあるが。つまりは集団のなかでつねに劣等感を感じ、優秀でいたいという欲があったのだ。かつて天才だった俺たちへというか。真面目キャラだったものを引きずっていたのだろうか。キャラと優秀でない姿がずれを生じ、かつてのキャラの方に近づけなければと、誤った焦りがあった。
 正気に戻ったのはそれから4ヵ月後ほどのことだったと思う。休職中に考えなかった仕事のことを考えられるようになり、人とのコミュニケーションも、その失敗すら楽しめるようになった。酒を控え運動もした。部屋を掃除した。毎日洗体し料理も作れるようになった。今はリハビリ期間ととらえて、さまざまインプットに尽力していると思う。さて、何がきっかけで正気に戻れたかは、今でも思い出せない。ただ、何も楽しいことなどないのにもかかわらず、とりあえず惰性でやってみた、という経験を何度か積んで、なんとなく思考が徐々に解けた。それから、過去の友人と再会したり、同じ境遇にあった人と会話してみたり、本を読んだり。なにか行動することができた。仕事の悩みとはいうものの、なるほど価値観を変えることが大切なのか。とはいっても価値観などすぐには変えられないので他者との関わりを多くしてみたり少なくしてみたり、別のコミュニティに行ってみたり。そういった行動をした。どうだい、眩しいほど輝いていると思うが。君には見えないかもしれない。
 薬剤師の資格をもつと、もう食っていけるように感じて、そこで優位性を取ろうと思うと、食べるために働く先を決めるわけではない。就活負けといったが、これは周囲から評価されると思っていた、仮想ではあるが、就職先に行けなかったということで。だがそれが失敗であり、友人からの見放されであり、異性関係にもマイナスに作用するとさえ考えてしまう。人生目標立てて逆算のルートを外れてしまったのだ。もちろん、惰性で生きていていいだろうと、当初は思っていたのだが、就活を経て、人生逆算論に染まっていたのだった。そして正しくないルートは承認されないとすら思っていた。実際にお祈りメールをもらうだけで相当心にダメージをもらっていた。いや、行きたい業種に行けたのだから御の字。しかし、思春期の大部分を承認のために同調圧力を受け入れ、自己抑制して、キャラをつくり、自己アピールをしそれを採用した企業の同僚・上司から、この仕事向いていない、と言われるのは承認の否定、人格否定のパワハラ以外の何物であろうか。会社に居場所がないわけである。もちろん、今となってはその言葉は上司が何も考えずに言った言葉であって、人格否定ではないのはわかるのであるが。そのときは、君には先天的に才能がないと言われたわけだ。また、取引先、といってもあちらが立場が上なのだが、仕事の失敗を、債務不履行だとさんざん言われ、上司の叱咤もフォローもなく、腫物を触るように後始末された。仕事の振り方は雑で何となくという指示が多く、そも研修すらないのに何を任せているのか。そも仕事とはなんなのか。何をすればいいのか。わからなかった。今もわかってはいないのだが。
 こんな職場に復帰しようと思うのだが、その前に休職したときの素直な気持ちを、雑記として残すことにした。