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嫌なことをやめてみる

もう何を握りしめているか分からないくらいに握った手の中に何があったのか。。
まず手のひらを広げるには、力を抜いて指を動かしてみることにした。なぜならいい加減にしんどくなってきたからである。それが自己への解放、本当の自分を思い出す、本当の自分は何かにつながるからと思ったからである。具体的には、それが意味するところ、なぜ´あの`両親を選んでこの地球に来たのかを知りたかったからである。前回も書いたが私には両親がいるが母親とは折り合いが悪い。というか嫌いである。そんなことを言うと人から「せっかく育ててもらったのだから、そんなこと言うもんじゃないよ」とか「バチが当たるよ」、「そんなこと言っても親孝行出来るのは亡くなってからじゃ遅いのだから今からするんだよ」、「そんなこと言って先祖に申し訳ないと思わないのか、地獄に落ちるよ」まで言われた。特に子どもその頃は、その様な母親のことを「ひどい親だね」と
同意してもらいたかったが出会えず、そこまで言われると、とにかく自分に自信がないよりか、存在している価値を持ってはいけないと思っていた。今もらった命は全うするが、(=死なないよ)この世に生を受けた意味は苦しみにあふれていて、罪とか罰がある中でどうにか、この世の中から落ちないようにして生きてきた。だから自分なんて「ない」で生きてきた。本当の自分を居ないにした。
話を戻し本当の自分とは何か?セッションも受けたが「愛を伝えるためですよ」とか、自分の地球の使命は自分で導き出すものと言われてよく分からなかった。
力を抜くのはアシュタンガヨガで自分のテーマだと気づいた。ではどのように指を動かすのか?思考をポジティブにしましょうなんて言われたって苦しいものは苦しいじゃん!!
苦しみは簡単に消してはならぬと思っていたが(これも握りしめているか分からないものの一つであることに今は気づきますが(笑)エゴですよ。結構強いんですよ、エゴ氏が。)苦しみを作り上げているもの、事柄のひとつである「嫌なことをやめみた」をすることにした。
続く。。

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