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係活動はやらない

学校では「黒板係」「配り係」「給食当番」などなど
家庭でも「皿洗い」「お風呂掃除」「ごみ捨て当番」などなど
生活していく中でみんなたくさんの「係・当番活動」をしていますよね。

たしかに、生活していく上で「役割分担」はとても大切です。そもそも、職業だって役割分担されているわけで、農家さん、漁師さん、銀行さん、スーパーさん、美容院さん、お医者さんなどなど、役割分担することでその専門性を高め、作業効率を上げ、より豊かな生活を送れているわけです。

もちろん、桁の大きな世の中では役割分担はとても効果的だと思うのですが、では教室ではどうでしょうか。
多くの学級では「係・当番活動」が行われ、掃除や給食にいたっては、その役割がさらに細かく決められていたりする。給食なら「ご飯」とか「副菜」(を配る人)、そうじなら「ほうき」や「ぞうきん」など。

こうやって係にすることで、全員が平等に仕事に仕事に取り組む機会を与えられるからと言う理由ですよね。そのとおりだと思います。

一方で、よくありがちなのは、
「じゃないからやらない」です。
掃除の時間中に手を止めて「ちょっと〜ほうき係さん早くはいてよ〜」「つくえ係さん早く運んで〜」と意気揚々と指示を出すものの、自分は動かない。
なぜ動かないか。
係じゃないからですよね。

もしその子が動いてくれれば、もっと早く掃除が終わったかもしれない。全体の効率を考えれば。そっちのほうが早かったかもしれない。
では、なぜその子は動けなかったのか。
そう、係があるからですよね。
係活動を忠実に守りすぎた結果、動けない。
それじゃ、臨機応変とか学べないと思うんです。

もちろん、係・当番活動の意味はよくわかっています。
ボクは、自分で判断して自主的に動ける子を育てたい。そのためにはゴールを共有して、あとは子ども一人ひとりの判断に任せたい

だから、ボクのクラスには係や当番活動がありません
でも、必ず誰かがやりますし、いつも同じ人がやってるわけではありません。係も当番もないのに、あたかもあるかのように活動が進んでいます。そして何より、みんなとても意欲的で、納得して動いています。なんでいつも自分ばっかり!なんて声もありません。そんな姿を見ているタンニンは、彼らを誇りに思うし、感謝しかないです。
みんなが動く理由はなにか。考えてみたいと思います。

係活動がないと、
「いつも同じ人ばかりやってる」や
「あいつはなんにもしない」という声も上がるかもしれません。
機会均等。完全平等という視座・視点から見ればそうですよね。

でも、視座を変えてみると、

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