甘柿、渋柿

教会に重い話をしに来る人に対して、仕事と割り切れるケースは少ない。つまり、聴いたそばから忘れて、その人が帰ればすっかり気持ちを切り替えるというのは、とても難しいということである。精神科医や臨床心理士なら、膨大な患者を相手にするだろうから、それくらいの割り切りが求められるのではないかと思う。そうでなければ倒れてしまうだろう。だが、わたしはそうではない。わたしはそこまでの人数を相手にしているわけではない。ただし、わたしは真夜中に連絡を受けることもあれば、これから食事をしようと思っているときに来訪者を迎えることもある。そして何より、その人の傷を、痛みを、涙や怒りを、そうしたいわゆる「負の感情」をしばし共にする。

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