虚無と夢の中の闇について

その夢の中の世界では、根源的オカルティスト(ほんとうにそんな言葉が夢の中で使われていた)と、混乱とパニックを志向する混沌派とでもいうべき一派が対立している。事態は取り返しのつかないところまで来ており、バケツの水をひっくり返すようなことが混沌派によって画策されている。しかし、すんでのところで根源的オカルティストによって食い止められている。オカルティズムの本質は宇宙の根源的分極化の内にあって無限に耐える、ということであり、その本質を知るオカルティストたちの努力によって世界のカタストロフィは免れているのだった。

続く夢は、一転ひどく世俗的なイメージの連鎖で成り立っている。例えば、知り合いのKさんと著名なジャーナリストのT氏が夜の講堂で不毛な議論を交わし、よく知る日本思想研究者がとある誌上で敵意むき出しの批判を論争相手に向かって吐き出している等々。

夢の中のつまらない議論や敵意むき出しの批評的言説の背景に目を凝らすと、生命感に乏しい夜の濃い闇で塗り込められているのが見える。その闇では小人や妖精たちが、月夜の夢のように森の中で跳梁することもない。静まり返った夜の辻々で百鬼夜行の長い列が賑やかに通り過ぎていくこともない。

分析を待つまでもない。前日に、高校生の息子と不毛な議論、というより、不毛な言い合いをしたことが、その事実への虚しいばかりの後悔が、この夢の素材となっている、というだけのことである。

夢の世界がカタストロフィから免れているのは、現実の世界で、かろうじて息子を追い詰める前になんとか沈黙することをぼくが選択できたからだ。
#夢分析

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