ある日の夢から

蝉はまだ鳴いているが、暑さは感じない。屋根裏では日常の意味の流れは途絶え、対象的意識は閉じられる。彼は自らを幽閉する。窓は閉め切られ、扉の鍵は二重にかけられる。それは苦痛を和らげるための、あまりにも手慣れた所作だ。現実は悪夢であり、悪夢とも思える自閉こそ安息の庭である…感覚は闇に委ねられ、立ち現れた像的意識はやがて純粋思考へと至る…物音は遠くなり、夜の波音に耳を傾けるように無意識的身体のうねりに集中していると、やがて眠りがやってくる…眠りに落ちた途端、それまで漠然とした硬さや柔らかさ、光や闇として感知されていた不可視の身体のうねりの印象は、鮮やかな夢の形象へと変換される…

その夢は、ただ一枚の絵のようだった。ヨーロッパの古い街道のような、坂になった石畳の上を静かに透明な水が流れていく。水音まで聞こえてきそうだ…ただそのワンカットの映像だけ。

目覚めはすぐにやってくる。感覚的意識を取り戻しながら、その夢の中の石畳の下には赤い痛みが埋葬されているのを、彼は知っていた…赤い痛み…いつからその感覚をそう名付けたろう。その痛みをどう説明すればいいか…指示しようもない対象、絵に描くこともできない、どす黒い赤の氾濫、見えざる亡霊たちの呻吟…どう言ってもそれを人に伝えることなどできそうもない。ただ、真夏の灼熱の陽射しを浴びた吸血鬼の苦痛、あるいは、ひどい寝不足のまま乗った満員電車の不快感、などと凡庸な比喩でも使えばかえってわかりやすいのかもしれない…

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