夢の衝撃力

娘がこれは自分でやる、あれも大丈夫、と言うので、私は、昔のように、親たちがいちいち干渉したり、口出ししたりしなくとももう大丈夫なのだな、と思う。そうだ、全部任せよう、あとは娘が思う通りにすればよい、肩の荷が少し降りた…そんな風にほっとしている。

まぁ、ただの夢だろうけど、と思う。たまたま、これまでにないほど今は娘の調子が上向きで、毎日図書館に行ったり、散歩に行ったり、料理をしたり、食器洗いをしたりしている、ということがまずある。

そう言えば先日は、後期単位認定試験の会場へも、娘は一人で電車に乗って行って、何事もなかったように帰ってきたのだった。いちいち親が付いていく必要もなく、パニックも起こさなかったし、試験会場前で足がすくむようなこともなかったようだ。

そんな日々の印象が、知らぬ間に深々と脳裏に刻印されて沈殿し、覚醒と眠りの境界を超えて夢の世界に着床した。そしてワンカットの動画として未明に花開いた、ということだろう。

しかし、娘の疾患には予想し難い波があり、一瞬後には、何が起こるか全くわからない、ということは今も変わりない。昨年などは、9年ぶりに再入院したのだから。その前日までは全く何事もなかったというのに。

その日の朝のことを思い出すと今だに後悔の念が過ぎる。まだ家族が起き出してくる前の早朝、私が出かける準備に余念なく動き回っているときに、珍しく彼女が起き出してきて「おはよう」などと挨拶してきた。「おはよう、早いね」などと私は返してカバンの中身を確認したりしていたが、ふと何か引っかかるものを感じたのだ。…たしか、以前もこんなことがなかっただろうか…まだ娘が小学生の頃…学校に行かなくなって間もない頃…しかし、電車の時間が気になって、私はすぐに「じゃあ行ってくる」と言って家を後にしたのだった。

午後、妻から娘再入院の連絡を受けた時は、本当にショックだった。まさか、という思いとともに、朝の娘の様子がおかしかったことに今更ながら思い至ったのだ。もし、あの時立ち止まって、彼女のケアに努めていたら…
さらに、それよりも私の心を重くしたのは、彼女の再入院前のひと月ほどの
間の一連の出来事についてだった。

いつ頃からだったか私は休日になると娘を散歩に連れ出して近くの公園などを歩きながら色々な話をするようになっていた。そんな時私は、とにかくあらゆることを話した。生活のことから家族のこと、また生煮えの哲学理論や心理学の話まで。というのも娘は通信制大学では心理学を専攻しているし、鷲田清一さんやシモーヌ・ヴェイユを愛読する哲学少女になりつつあったから。資質からして原理主義的思考に取り憑かれる可能性もあるので、免疫をつけるために宗教学の話もした。それから類比的思考の重要性について、何よりも夢の話を何度もしてきた。

心理学を勉強しているのだから、夢分析でもやってみては?そんなことも言ってみた。しかし、娘はあまり興味を持っていないようだった。「あんまり夢も見ないし」…ある種の精神疾患では、箱庭療法や夢分析などで症状を悪化させるケースがあるという。娘には妄想や幻覚といった症状はないし、そういったケースには該当しないと思うのだが、何か心配や不安があるようだった。そこで、わたしは、小寺隆史さんという精神科医の方が公開している症例研究を紹介したのだった。それは現在も以下で公開されている。

https://koteraclinic.jp/monograph/188

実際に自分の夢を分析することはなくとも、この症例研究は必ずや娘の参考になる、と確信していたからだった。

その小寺氏のクリニックのサイトでは、何の準備もなく夢分析を採用した場合、症状を悪化させると予測させるケースが紹介されている。そこで小寺氏は、事前に自我強化のためにイメージトレーニングを取り入れている。それは河川の堤防のイメージを繰り返し患者さんと共有して強化していく、というもので、妄想や意識の混乱を降雨 による河川の水位の上昇、氾濫に類比させている。

それは河川の水位とそれを守る堤防のアナロジーで、怖い思い(妄想着想)が出て来ることを降雨による河川の水位の上昇に例え、思っていることと事実を区別することをその水位を支える堤防に例えるというものであった。そのうえで、彼女の入院に至る混乱状態を、川の水位が上がって来たものの堤防がしっかりしておらず、決壊して洪水になった状態と説明した。また、このイメージの中で薬の役割についても説明した。即ち、薬は水位が上がって来た際、その水位を下げてくれるのに貢献すること、しかし堤防自体の補強は彼女自身がしなければならないことであって、そのことに対しては薬は直接には役に立たないこと、逆に水位が上がってきた時に、堤防さえしっかりしていれば、その分薬は少なくて済むようになること、等を話し合った。
(小寺クリニックサイト:妄想型統合失調症女性の精神療法と夢分析の過程からの引用)

それからもう一つ、中井久夫さんの絵画療法における〈枠付け〉の話もした。中井久夫さんが考案した風景構成法は娘の学校の教科書の中にも言及がある。その風景構成法ではまず、患者さんに絵を描いてもらう前に、画用紙の縁に枠線を描いてもらうことになっている。それはかつて、患者さんの中に、自ら枠線を描いてから絵を描き始める人がいたことやまた、河合隼雄さんの箱庭療法でも、自ら柵を巡らせてから作業に取りかかる患者さんの例があったことなどから、導かれた方法だった。その枠付けは患者さんの自我を保護する機能があるらしい。枠線があると、患者さんの絵はより内面的な内容になり、枠付けがない場合は、建前的な、虚飾的なものになる。枠付けがない場合、防衛的な心理が働いていることがわかる。
(中井久夫『統合失調症2』みすず書房参照)

実際に娘が夢分析に興味を持つことがなくとも、〈堤防〉や〈枠線〉のイメージが、娘の哲学的テーマである〈待つこと〉や耐性といった心的構えのアナロジーとして娘の思考に作用することになるだろうと私は思った。

さらに、娘と散歩をしながら提案したことに、通院を月2回から月1回に減らすこと、薬の量を減らすこと、というより、一時的に増やしていた薬の量を元に戻すことがあった。というのも、娘にはしばらく何の問題も起こっていないし、娘の調子は上向きであることが明瞭であると思ったから。またよく散歩するようになったことから、セロトニンの分泌が促されたり、代謝活動が活性化して心身に好影響を与えているだろうなどという素人判断があった。提案は、無論、主治医の判断のもとで、という条件付きで、であった。この提案を受けて、娘は主治医に相談し、実際に月1回の診療になった。そして、薬の種類や量も数年前の水準近くまで戻った。

娘が再入院したのはその矢先のことだったのだ。薬を減らしたことが仇となったのだろうか。つまり、父親の素人判断による提案が逆効果になったのだろうか…しかも、再入院に至る娘の混乱のきっかけとなったのは、一つの夢だった、というではないか。

その夢をどう説明したらいいだろうか。たとえば、学校が嫌いではないのに行くことができなくなった高校生の女の子が、ある日道端でどこかの高校の文化祭のパンフレットか落ちているのを目にしたとする。その表紙にある楽しげなアニメ絵をふと見た。そこには、軽音楽部らしい女の子たちがギターやベースを持って歌っている様子が描かれている。音符が飛び交うそのアニメ絵はその時は何の感慨ももたらさなかったが、何かが意識の底に沈殿した。その晩に見た夢の中で、そのアニメ絵はリアルさをもって立ち現れる。しかし、その夢の世界には彼女の居場所がなかった…

娘が再入院にいたるきっかけとなった夢は、形象としてはこれとは違うが、パターンとしては同じものだ。同一パターンの夢は、娘が不登校になった頃から繰り返し現れては、娘の状況を悪化させる作用を及ぼしてきた。今回は何かが事態を深刻化させた。それが何なのかはわからない。父親の不用意な提案による薬の減量なのか。でなければ、父親の不用意な夢の話が、娘の夢に対する感受性を増幅させていたということなのか…

自分のせいだ、と私は思わざるをえなかったが、実際のところどうだったのか、娘はこういう時のことはいつもあまり覚えていないし、自分でもはっきりとした理由などわからない、と言うのだった。実際、退院後、娘の調子がよくなって、また一緒に散歩をするようになってから、夢の話が悪影響を及ぼした可能性についてそれとなく娘に聞いてみたが、全然違うというような話だった。とすると薬の減量のせいか。だが、主治医の判断でも問題はないということだったのではなかったか…やはり、焦り、があったのか。焦りこそ治癒を困難にする最大の敵であるということは、耳にタコができるほど主治医から聞いていたが、私はその敵に翻弄されていたのか。

娘を再入院に至らせた夢は、本人ばかりか、家族にとっても大きな衝撃となった。

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