夢の中の生き物たち

気味の悪い生き物がよく夢に出てくる。床一面の蛇や深海に棲息していそうな甲殻類、見たこともないグロテスクな昆虫の類、そして先日は巨大な鯨に呑み込まれそうになった。たいていはみな黒い。そしてウニやアワビのような形状をしていることが多い。それらはみな、とりもなおさずぼくの一部だ。かつて何らかの理由で、地下深くに埋葬され、昼の意識に統合されることなく封印された精霊たちのなれの果て…。彼らは我々の力の及ばない異界から力を発揮し、あらぬ方向へと人生の軌道を押し曲げ、不可解な状況へと人を追いやる。人が行く道を大きく蛇行させる見えざる力だ。ぼくはだから、もう十代の頃から何百回となく何とか彼らを呼び出して誤解を解き、和解の盃を交わそうとしてきたのだが…

その夢の舞台は家族がいつも集まる和室なのだが、どういうわけか床は畳ではなく泥濘になっている。その泥濘から時折奇妙な生き物が頭を出す。泥だらけのコンニャクか豆腐のような。ぼくはその生き物を捕まえようと、頭を出したところを踏みつけようとするが、気味の悪さが先に立って、うまく捕まえることができない。だんだんその生き物はモグラ叩きのモグラのようにあちこちから顔を出してはすぐに引っ込める、という様になってきた。ぼくはそのたびにつま先を突き出し、そいつを踏みつけようとするが、腰が引けてうまくいかない。

その一方でその部屋では家族の暮らしが普通に営まれていた。家族は当たり前のようにテレビを見たり食事をとったり眠ったりしている。
食事をとりながら、息子が餃子があまり食べられない、などと言った。
「そうか、お前、おばあちゃんの手作り餃子、食べたことないんだな。無茶苦茶美味いんだがな!」
ぼくがそう言うと、唐突に餃子の向こう側の風景が幼い頃の生家の土間の風景に変わっている。ぼくは小さな子どもに戻っていて、餃子は母親が手作りした餃子になっている。

餃子に導かれて、というと笑うしかないが、ぼくは泥だらけの奇妙な生き物を捕まえようとしていた。すると、生家の土間へと夢は舞台を移した。

夢の中で連なり展開する像の連鎖には必ず背後に意味あるストーリーがある。場面が唐突に転換する時はそのストーリーの磁力によって無意識の底からイメージが引き寄せられたからだ。ぼくらはそのストーリーを読み取り、混沌とした夢に形態と秩序を与える。

生家は何代も前まで遡ることができる古文書が残っているような農村の旧家で、その古い家にはまだ土間が残っていた。大きな木製のテーブルが置かれ、畑仕事の後に泥だらけの足で外から入ってきてもそこで食事ができるようになっていた。食事の時には上座に厳格な曽祖父が座り、その前では何も言わない父親が、いつも白い割烹着を着ている母親が、そして、ひっつめ髪の祖母や意地の悪い兄たちがそれぞれの席について、裸電球の薄暗い灯りの下で黙々と箸を動かしている。寒々としたその光景の中で、ぼくの言葉は凍り、ぼくの腕や手は枯れ枝のように力を喪っていった。そして無邪気な精霊たちは行き場を失って活気をなくし、土間の土中奥深くに生きたまま埋葬されたのだ。そして、夢の中で増殖する、気味の悪い生き物たちとして新たな生命を得た。この土間の冷たい土の下で。

夢はぼくを、ぼくが捕まえようとしていた泥だらけのコンニャクの生まれ故郷へと案内してくれたのだ、と言うことができる。グロテスクな夢中の生き物たちと和解の盃を交わすには、あの薄暗く冷たい生家の土間へと還る必要がある、ということなのだ。

ぼくはあの土間の冷たい土を掘り返してみよう。そして、夢中の黒い精霊たちの跳梁に耐え、春の明るい水のような、新たな流路を得た透明な精霊へと転生させるのだ。

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