迷夢の展開

かつて帰り道がわからなくなるという夢を何度も見た。無数にあるバス停留所のうち、どれに並べばいいのか分からずウロウロと歩き回ったり、見知らぬ路線に乗ったのはいいが、車内の路線図に知っている駅名が一つもなくて困惑したり、遠い遠い見知らぬ地でどこへ向かっているのかもわからぬ電車に乗っていたり…今回の夢はそんな迷夢の続編となっている。

見知らぬ路線に乗っている。降りるべきターミナル駅を過ぎてしまったようだ。次の駅で降りて反対側の上りの電車に乗ればいいか…しかし、降りようとした駅は人気がなく、とても暗い。ここで降りる気はしない。ぼくはとっさにこのまま先まで行って、次の大きなターミナル駅で降りればいいではないか、と思う。少し遠回りになるが、そこからだったら自宅のある駅まで一本で行ける。車内の路線図を見ながら、ぼくはそう判断する。
次の場面では、ぼくは自宅のある駅に着いている。駅前で家人の車を待つことにする。どの場所で待とうか、と駅の周りを歩くが、駅から少し離れた狭く暗い通りには、なにやら不穏な連中が整列し、リーダー格らしき男の指示に従っている。ここはよくないとぼくは思う。駅前ロータリーそばのスーパーの前で待つことにする。そこは明るくて人通りが多く、まあ安心だ。
この二つ目の場面と並行して、もう一つの物語が進行している。その物語では、母校の中学校でなにかの会合があり、ぼくはそれに出席している。帰りに靴を履こうとしたところ、片方が自分のものでなく、とても履けないほど小さなサイズであることに気づく。ぼくはとりあえず中学校の事務所に事の経緯を説明しようと思った。おそらく、間違えてぼくの靴の片方を履いて帰った人物も、中学校の事務係の人に同様の連絡を入れるに違いない。そうすれば、うまく事は解決するではないか…
さて、駅前で家人の車を待ちながら、ぼくはDさんに、この、左右が違う靴の件について話をしている。

これまでの迷夢との違いは 、目指すべき方向や方法がはっきりとわかっている、ということだ。最初の場面の路線図にもはっきりと知っている駅名が出ていた。これまでに見た迷夢では、知っている駅名が全くなかった。

とても重要だと思えるのが、主要なストーリーと交差するサブストーリーとしての、「左右が違う靴」の場面である。このサブストーリーのなかで、ぼくははっきりと解決方法を構想し、明確にしている。中学校にこの件を連絡をしておけばいい、違う靴を履いて帰った誰かもきっと同じように中学校に連絡するはずだから、というように。これは電車内の路線図を見て自宅のある駅までの経路をしっかりと確認するメインストーリーと軌を一にするものだ。目的地がしっかりと明確になっており、とるべき選択肢がはっきりとしている。

最後に突如として登場したDさんは、実生活でのぼくの目的というか、構想の焦点となっている事柄について話したことがある人である。今回の夢の上昇感覚を象徴するような人物である。

ところで、今回の、ポスト迷夢とでも言うべき夢は、三つの場面からなっている。

はじめの列車に乗っている場面で、ぼくは一旦途中駅で降りようかと迷い、その駅の人気のなさ、暗さに何か嫌なものを感じ、結局次のターミナル駅まで行くことを選択する。

この第一の場面の続きとなる駅前の場面では、狭く暗い通りを抜けて、駅ターミナルそばのスーパーの前で家人の車を待つことにする。Dさんの場面は、この二つ目の場面に含まれるといっていい。

以上のメインストーリーを横切るように立ち現れたサブストーリーでは「左右が違う靴」という困難を乗り切るための明確な構想をぼくは思い描いている。

こう振り返ってみるならば、それら三つの場面が、同じ構造を反復しているということに気づくのである。暗い駅から次のターミナル駅へ、駅周辺の暗く狭い通りからロータリーそばの明るい場所へ、そして「左右が違う靴」という困難からその解決へ。

暗いところから明るいところへ、
闇から光へ、
困難から選択へ。

一連の迷夢全体を一つの夢と見なすならば、この構造反復は、その全体の構成にも当てはまるということがわかる。

迷夢は、ここにきて明確な意思を持った帰郷の夢へと転換したのである。それは、迷夢が迷夢であることをやめたということを意味する。


今回の夢のようにメインストーリーにサブストーリーが交差する場合、必ずふたつの夢が交差する場所に意味的にか像的にか、形象が重なり合う結節点があるはずでなのである。

メインストーリーにおいてそれは、駅周辺の暗い通りにいる不穏な連中である。自由連想によると彼らは、自分にとって逸脱と困難の時代であった中学生の頃、よくつるんでいた連中である。彼らが夢のなかに登場した瞬間に、中学校が舞台のサブストーリーがメインストーリーを横切っていくように流れ出した。結節点は「左右が違う靴」である。それは逸脱と困難の時期を一枚の絵で象徴するような形象であると言える。「不穏な連中」と「左右が違う靴」が結節点となり、重なり合い、メインストーリーとサブストーリーが交差した。

吉本隆明氏は『心的現象論序説』で、夢と覚醒時体験を繋ぎとめている概念パターンを〈結節〉と呼んだ。〈結節〉は、現実体験とそれが類比変換した夢の双方に共通する概念パターンだ。

今回の夢におけるメインストーリーとサブストーリーを結び付けているのもこの〈結節〉と同じである。それは、現実体験と夢の間を結びつけるばかりではなく、夢と夢を結びつけることもあるのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?