連続夢の展開

その夢のなかの街では、絶えず何処かで工事をしていて、重機の音が絶えない。街じゅうに槌音が響き、何かを期待させるような感覚が昼の乾いた光や夜気に満ちている。アスファルトは剥がされ欠片となって無造作に積み上げられ、工事中の敷地を囲う白い塀パネルやシートが至る所に目に付く。工事に携わる人たちの姿を見たことはない。繰り返し現れるその街が舞台の夢を、私は連続夢と名付け、注意深く観察してきた。ずっと昔から、何年も何年も。連続ドラマのように物語が継続して展開しているわけではない。だだ、どうも舞台となっている街がいつも同じらしいのだ。

それもそうだ。その街の風景のどこもかしこも、自分の生理的生命感覚あるいは身体的無意識が映し出された形象なのだから。自我意識あるいは自己観念は、長い年月をかけてその身体的無意識との関係性を修復し、再構築しようとしている。その再構築されつつある身体的無意識が、目覚めと眠りの境界を超えて夢の世界に移行すると、どこもかしこも工事中で再建中の街の風景にイメージ変換されるのである。

そんな街の中で毎回繰り返し立ち現れるのが、再建される途上にある街にはふさわしくない、何か古びていて生命力に乏しい廃墟のような景観の一部である。ひび割れて水垢が目立つ校舎だったり、真新しいはずの駅の階段に使われた黒く油じみた古い木板だったり、新しいはずの住宅街のあちこちに露出した古い農村の蔵の痕跡だったり。あるいは、蔓草が外壁じゅうに這い回っているような廃屋もあった。

観念はその本質として統合と上昇を志向しつつ、身体的無意識との関係を修復して、そこから推進力を得ようとしている。それはゴーストタウンと化した街を、長い年月をかけて、自然を損なわないよう慎重に配慮しながら再構築するような過程である。

しかし、身体的無意識の古層には、かつて失敗した心身相関の名残である氷の塊が残り、観念はどうしてもその身体的無意識の古層を触知できずにいる。その置き去りにされた古層が、街の景観の一部として、いわば下降のベクトルを孕んだ形象として夢の中に露出してしまうのだった。

…工事中のビルの敷地から、若い頃に私が愛用していた、とても古めかしい初代レガシィセダンを自分で運転して出てくる。初めて自分で購入した、中古の四輪駆動車。藍色で、角張った古めかしいエクステリアデザイン。その運転席の座席の位置が合わず、とても窮屈に感じている。何度も座席の位置を変えるが、今ひとつしっくりこない。腕が縮こまって、まともに運転できない…

今回のこの夢において、かつての連続夢における何か古めかしくて生命力に乏しい廃墟のような景観に当たるのが、この古めかしいデザインのかつての愛車である。

これら一連の夢はまさしく連続夢だ。具体的な形象は毎回変化しているが、同じパターンを繰り返し見せてくれている。

そして、連続する物語にふさわしく変化や展開もある。

かつては、身体的無意識の古層は、街の景観の一部として外部の風景に映し出されていた。しかし、今回は自分の身体の延長と言っていいような古い愛車にイメージ変換しているのだ。

これはどういうことか。

かつて身体的無意識の古層は、まったくもって観念の手の届かない深みにあり、意識に上ることがなかった。だから、それが自分のものと意識されることなく、夢の中で外部の街の景観に投影されざるを得なかった。

これは、心理学における「投影」と同じ構造をしている。

たとえば、深刻な妄想患者の場合、自分の衝動や意図の自己所属感が乏しく、周囲に投影してしまう、ということがある。自分がある人物に疑わしい視線を送っている。しかし、自己所属感の欠如からその視線を自分のものと認識できず、相手が自分に疑わしい視線を送っている、と思い込んでしまう。

同様に以前の連続夢では、観念が触知できない身体的無意識の古層は、街の景観として外部に投影されてしまっていた。しかし、今やその古層を触知しうるところまで心身相関の修復は進んでいる。だから、自己所属感のある古い愛車にイメージ転換されるようになった。

観念と生理的生命感覚の古層との、意識と身体的無意識の古層との関係修復の度合い、それがこの連続夢の変化に反映されている。

ところで、実のところ、かつての連続夢と今回の夢の間には、一つの異質な夢がスピンアウトドラマ、あるいは外伝のようにして存在している。

その夢では、私はすでに死体となっており、浮遊する魂が、何度も何度もその死体に戻ってきてしまうのだった。私の土気色の死体は、その魂に取り憑かれ、ゾンビのように部屋を徘徊するのである。

この夢は一連の連続夢の中に位置づけられなければならない。かつての連続夢で街の景観として投影されていた身体的無意識の古層が、たとえ死体として、とは言え、自分の身体として観念に触知されるようになったのであるから。

そしてこの「ゾンビ夢」は、一連の連続夢にとってとても重要な転換点だ。身体的無意識の古層が、街の景観としてではなく、本来の在り処に回帰しようとしていることを物語っているのだから。

今回の夢において、身体的無意識の古層は、死体から、より自己所属感の度合いが強い「古い愛車」にまで進展した。つまり、身体的無意識の古層は、一連の連続夢において、「古い廃墟のような景観の一部」→「死体」→「古い愛車」、という進展を遂げているのである。それは心身相関の度合いが上昇したことを物語っている。あるいは、身体的無意識の自己所属感の度合いが強まっている、ということの表現になっている。

しかし、その心身相関の修復はまだ道半ばであることがわかる。座席の位置がしっくりこない、という感覚は、まだ心身相関のどこかに、かつての関係毀損の名残が残存している、ということの証左である。

この連続夢には、きっとまだ続きがある。工事がすべて終わり、新しい街が機能し始めるまで、それは続くはずである。

因みにこの夢には続きがある。

やはり工事中の新しいタワーマンション。もうほとんどが出来上がっている、というか修復は済んでいて、住人が中に入るのにガードマンが、はいどうぞ、と言って通している。ビルの地下からは、研磨機のすさまじい音が響いてくる。ビル地下の鉄柱を仕上げとして磨いているらしい。ぼくはそれが歯医者で歯を削っている音のように聞こえた。すると歯のイメージが現れ、その根元が削られている映像が現れた。痛みも感じた。

街を再構築する夢、のはずだが、類比的連想の故か、歯の再構築(治療)へと夢は転換したのである。

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