雑草と夢

夢のなかの駅前広場が賑わっている。その隣は交番。その賑わいはそのまま自分が職場でいつも通りの仕事をしている場面に接続する。そのあと郊外の、どこにでもありそうな細いアスファルト道の場面に転換する。夏の盛りで、萱草や葛の葉が盛り上がり道を覆わんばかりである。

自宅の近くには、自分にとってとても大切な〈雑草ポイント〉がいくつかある。週末ともなれば、その〈雑草ポイント〉に向かって車を走らせたり、散歩したりする。それからまるでそれが本能であるかのように、人目を憚りながらも写真に収めることを止めることができない。犬を連れたお年寄りや、自転車の若者等々、そこを通りかかった人々は、この人は一体何を撮っているのだろう、と言わんばかりに怪訝そうに目を向けるが、まあ、それは仕方がない。あやしげな、おかしなおじさん、ということで近辺の人々には受け入れていただこう。

こうしていつの間にやら、わたしの端末のアルバムの中の写真は、同じ位置から撮られた、様々な表情の雑草たちばかりになっている。北斎の富嶽百景やセザンヌのサント・ヴィクトワール山、金森世士夫の湖山シリーズ等々を引き合いにだすというのもおこがましいのだけれど、名のある芸術家たちが同じ対象を繰り返し描こうとするのは、表現ということにおいて対象の多様性や物珍しさへと拡散する方向へではなく、一つの対象の見方の質や方法を問う方向へと向かったが故であろう。

ただ、私の場合、写真の素材として、名のある山々も風光明媚な名勝も不要である。水辺や道端の誰も見向きもしない雑草があれば足りる。光を照り返したり、風にそよいだり、時に除草剤を撒かれて枯れたり、枯れ残ったまま冬を越して春先の雨に打たれたり…そんな萱草やつる草たちは、いつしか人の心や魂の表情を映し出し、文脈を持ち始める。やがて何かを語るように夢の中に立ち現れる…そして見よ!時に道端に黄や赤の小花を咲かせ、野の草たちは富士の山に勝るとも劣らない喜びを我々に与えてくれるではないか…

ただしこの雑草狂いは、プロ野球選手などがよく雑草魂などと言って、花々のように華やかなスター選手と対照的な自分の野生的逞 しさを強調するために雑草を引き合いに出すのとは違う、と言いたい。また、エリートや富裕層に対して庶民や大衆や貧困層の側に身を置き、それを特権化するというような政治的意図もない。構造的神話的次元においては富士山も雑草も変わらないと思っているだけである。

今回の夢を見た前日、私は〈雑草ポイント〉の一つである車両通行禁止の、人通りもない細いアスファルト道でいつものように衝動的に沢山の写真を撮った。
それがこの夢の3つ目の場面に忠実に反映されている。

私にとって雑草の写真を撮ったり加工することは、言葉で何かを表現したり、仕事をしている時に感ずる高揚した気分と同じ、祝祭感覚を象徴するのだ、ということがこの夢によって明確になっている。雑草を写真に収め、その時の気分や心理パターンの鏡となるように加工することが、駅前広場の祭りのように賑やかな風景に同期され、また、仕事をこなしている時の前進感覚を呼び起こしている、ということなのである。

この夢はそんな、雑草にまつわる祝祭感覚を三度反復している。しかし、1つ目の場面の、交番は何だろう。雑草にまつわる祝祭感覚だけを表現したいなら特に交番の形象など必要ないではないか。だが、この夢では交番は無視できない強度で立ち現れた。偶然と言って捨象してはいけない、と告げているかのようだった。

この交番からの連想で思い浮かぶのは、〈雑草ポイント〉の場所性である。〈雑草ポイント〉があるのは、残念ながら我が家の庭ではないし、誰も立ち入らない山奥でもない。それは常に公道に接してある。つまり、公共の場所であり、国家法や条例が見えない網の目を張り巡らせている場所なのである。そこをうろついていれば車に轢かれるかもしれないし、不審者として通報される可能性もある。いくらあやしげなへんなおじさんとして近辺の人たちにお馴染みとなったとしても、人の目や行動を規制する法や条例などの規範は、常に頭の片隅になければならない。だから、夢の主題となった祝祭感覚は常に規制ある祝祭感覚でしかない、と言えるのではないか。交番のある駅前広場という公共性の高い場所が選ばれたこと、また、いつも通りの仕事の場面が呼び寄せられたということ、それは、この夢が規制感覚を意識せざるを得ない〈昼の祝祭〉を形象化しており、羽目を外すことも間々あり得る〈夜更けの祝祭〉とは水準が違う、ということなのではないか。

〈交番〉はここでは、規制や法を表す一般象徴として夢に嵌め込まれている。しかし、それは〈雑草ポイント〉にまつわる私の固有象徴に包括されてある。一般象徴は、固有象徴の範囲を超えでることはできない。常に固有象徴の円環内にある。つまり、連想によって固有な生活史的文脈に位置付けられることによって初めて息を吹き込まれる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?