夢の中で闘う

夢の中でサッカーをしているというのは、はじめてのことだった。相手は、サッカー王国の二軍レベル、一方こちらは、選りすぐりの超エリートの選抜チーム。だが防戦一方で、実力差は歴然としている。終了間際には、あわやというシーンの連続だった。相手のシュートをキーパーがパンチでなんとかゴール枠外に押し出したのはいいとして、続く相手のコーナーキックではゴール前ががら空きになり、選手でもない自分が防戦に加わるという一幕が。これ、もし自分がボールに触ったら無効だろう…そう思っていたら、試合終了のホイッスルが鳴った。ホッとした。なんとか0×0で分けたのだ。

近頃夢の映像がとても鮮明で、目覚めてからしばらくは、まるで映画鑑賞をしているように、ぼんやりと見えざるスクリーンに見入っている。と同時に、その夢のスクリーンの背景には、その夢の原因となった、日常生活における感覚印象、感情、思考が明確な観念的輪郭を持って、字幕のように展開しているのに気づく。

今回のサッカーゲームの夢の背後で展開していたのは、あまりにも忙しい勤務先での仕事に纏わる切迫した感情である。とにかく忙しい、ということ。余裕のかけらもないということ。先延ばし、積み残しが山ほどあるのだが、ルーティンワークに時間を費やしているうちにあっという間に1日が終わってしまうということ。圧倒的な仕事量に押されながら、それでもなんとか生活との死闘はイーブンであり続け、逆転を許してはいないということ。何があろうが、どれほど不利であろうが、ぼくはひたすら闘い続けている、ということ…。

もし、現実生活との死闘に敗北し、例えば、ぼくが健康を損ねたり、仕事を辞めることになったとしたら、今回の夢はどう展開するだろうか。おそらく、味方のキーパーが手を使えないという理不尽なルールに縛られるとか、試合終了のホイッスルを鳴らすはずの審判が麻雀に興じていて、その間に逆転を許してしまうとか、おそらく、そんな喜劇的な夢に転換することになるだろう。

#夢分析

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