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人生の長さに目眩を起こしつつも美しさに目も覚める

中学校に通えなかった話

バーンアウトというよりドロップアウトだった。
自分としての理由はちゃんとあったんだけど、打ち込む指が震える割に読む側としてはたいした話じゃないから省略。コスパが悪い。

ちょこちょこと体調不良が続いておかしいなと思っていたらある日起き上がれなくなった。
そこからひと月ほぼベッドの上だった。
小学校時代ほぼ皆勤賞だったのに。

ここから必死だった。
病院も行ったし、家庭教師もついた。
でも夜中に救急搬送もされた。
私も必死だったけど親も必死だったと思う。
目の前はずっと真っ暗だった。
いろんなひとがいろんな話をした。
励まし、慰め、お叱り、ネガポジ含めていろんな話をされた。でも何も覚えてないし、届かなかった。
ただ目の前が真っ暗だった。
皆の当たり前が当たり前に出来ない自分はダメな人間だと決めつけたし、人の感情に敏感になった。
この世の全てからダメな人間だと思われてるって思った。そんなわけないのにね。

この時期に親兄弟との関係が破綻してしまって医師の勧めで私は1人東北の祖父母の家に移り住んだ。
このことに関してわりと最近までずっと自分を責め続けてた。なんでかなぁ、何で私だけ家族と上手く関係を築くことが出来ないんだろうって。
家族は血の繋がった他人、相性もあるよ。と今なら言ってあげれるのに当時の私に。

東北に移って冬、布団から起き上がれなかった。
こんな毎日いつまでおくるんだろう。今日こそ起きよう。明日こそ学校行こう。毎日そう思ってた。
でもあまりの寒さに気付いた。
私が通ってる学校、もうここにはないや。
もう戻れない。どうなるんだろう。
もうすでに人生が終わった気でいたので残りの人生の長さに絶望した。
中原中也とか読んでた気がする。こわっ。

春、まだ雪が残る中図書館に通った。
夏、毎日トンボを捕まえてた。
秋、美味しいものをひたすら食べた。
冬、こたつでぬくぬくお昼寝してたら学校に行ってみたくなった。

何がきっかけか忘れたけど、放っておいて貰ったらいつの間にか社会復帰して高校も行ってた。
その後無利子の奨学金と祖父からの援助で進学した際に親から期待してた大学じゃなかったとチクリと言われたときに、何となく苦しさの原因が見えてた。
そこから結婚して出産までほぼ実家には帰らなかったけど、諦めはつかなかったんだとおもう。普通の家族を。良い子だと思われたいみたいな。

昔は繊細だったんだと思う。自己というものあやふやで。大人になっても、うまく人付き合い出来るようになっても、過去に引っ張られてことあるごとに苦しかった。ずっとなんでだろうって思った。

でもSexyZoneに出会ったら
彼らはいつも私がずっと抱えてたモヤモヤを言語化してくれる。

「メイクに男性も女性も関係なく、綺麗になろうと努力している所に魅力を感じる」

焼肉屋に1人で入る女性はどう思うかという質問に対して「そこに性差はない」

女子力という言葉に対して「女子力という言葉が古い」女子力が美と家事力だとするならそれは男性も必要

そして、セクガルからセクラバにファンの名称が変わった経緯も知る。

そして、優しかった。昔は知らない。私が出会った彼らは優しかった。

なんて居心地がいいんだろう。
なんて息がしやすいんだろ。

言語化されたモヤモヤで検索をかけると自分が特別ではなかったことに気付く。多くの人が似たようなモヤモヤを持っているし、苦しく思って当たり前の「問題」なんだと。

そういう問題が世界にはある、と知っていても身近ではないものをアイドルが身近に感じさせてくれた。

恥ずかしながら、結婚してからも程よい距離感だった実家は長男を産んでからまたべったりになっていた。孫を可愛がる親を見て今まで自分がきちんと出来なかった親孝行がやっと出来た気になっていたし、いろいろな大人から愛を貰うのが長男のためにもなると思っていた。

そして乳児を抱えてご飯を食べている私に「おかわりだって」といい年をした兄弟の茶碗を渡す母がいるのだ。
それが当たり前過ぎて、自分の食事を止め、泣く子をおろし、台所まで兄弟のお茶碗を持っておかわりをよそいに行ってたけど、
いやいやいやいやいやいや、おかしくない?

ありがとうsz。
私、貴方たちのおかげで長年苦しかったモヤモヤが暴けたし少し決別出来たのよ。

まずは自分を愛して、と繰り返し教えてくれてありがとう。おかげで自己肯定感が爆誕し「あれ?上手くいかないのって私のせいだけじゃなくない?」って思えたわ。

もはや正解とかどうでもいい。
誰が悪いとか悪くないとかもどうでもいい。
誰も悪くなく、ただ噛み合わなかった。
私はこのままの私でいいんじゃんと気づかせてくれてセクサンだよ。

2人目の出産は里帰りしなかった。
うるさくは言われはしたが長男の環境を変えたくないで押し通した。

そして身も心も強くして乳幼児を連れて帰った実家。美味しいお食事、子らに食べさせすっかり冷めたそれをいただきますと食べ始めたところで例のごとく「おかわりだって」
「え?なんで?」
「えっ?」

私が空気を読めてたら凍ってたと思う。
しかし読めないので時を戻そう(©ぺこぱ)

「私今ご飯食べてるし、なんで?」
「お兄ちゃんは遠くから帰ってきてお客様みたいなものだし、」
「それで言ったら私もだよね?むしろ苗字も違うよ」

さすがにここまで言ったら母が黙っておかわりよそいに行った。ここまで言っても兄本人にさせないあたり一本通った信念を感じる。まぁ、知らんけど。

家族といえど血の繋がった他人。
しかし家族。
子の手が離せる状況なら料理も作るし掃除もする。でも他の兄弟がダラダラしていたら私もダラダラするようにした。
注意されたら心底驚いた。本心で。
ご機嫌伺いもやめた。
そしたらあまり呼ばれなくなった。わかりやすい。

距離感は間違うと悲惨なことしかない。
特に母は娘を所有物と少し勘違いしてるので3年くらいかけてそれは違うよと根気よく説明している。未だに説明している。
もちろん嫌いじゃない。困ってるだけ。
先日もSnowManの生配信LIVEを見てる最中に(SexyZoneじゃないんかい!)突然アポ無しで訪問して「何これつまらない」と言うので「私は面白いと思ってるし、連絡なしに突然きて上がり込んでケチをつけるのはさすがに神経疑う」と優しく言ったら何も言わず帰っていった。
すまんな母、私の佐久間が可愛いんじゃ。

個は個。まず自分。

ここまでの文章、何回も書いては何回も消してる。
でもszが自己肯定感を高めてくれたから過去の(忘れてたけど)黒歴史が黒歴史じゃなくなった。
あの時期があったから今があるって思えてる。
お休みしてた頃の記憶ってぼんやりしてる。だからそんなに人に話したこともなかった。
szに出会ってきっかけを貰え、自分で受け入れる事が出来てから笑って話せるようになった。

誰かからみたらドロップアウトして実家とも噛み合わないドンマイな人生かも知れないけど、
私、毎日しあわせだよ。
すごくたのしい。明日もたのしみ。
今、幸せ。子が可愛い。幸せ。
推しが美しい。幸せ。

私が今感じる幸せは過去も含め親の望むかたちじゃなかっただろうけど選びとった幸せだ。
私は本当に実家の家族を愛している。悲しいほど愛しているけどその意に沿うことが私の幸せとは限らなかったという個人例。
今日子どもたちに「お母さん、幸せなんだ。大好きだよ」と伝えたら何故か泣けてしまった。
「なんで泣いてるの?」と聞かれても「わからない」と答えた。たぶん、私がずっと欲しかった家族が今はここにあるからだと思う。

今、彼らの幸せを祈ります。
優しくしてくれてありがとう。
幸せに気づかせてくれてありがとう。
世界のどこかで今も笑っていてくれたら嬉しい。
人生はまだまだ、目眩起こすほど長いから。

小さい頃の夢がヒーローでも、大きくなったらお医者さんになることだってあるじゃない。
周りから求められる自分に惑わされずに、自分がなりたい自分になるために、
ゆっくり自分のペースで、しっかり寝て、美味しいもの食べて、美しいものを見てください。
ほっと一息ついたら自分の幸せだけをまず考えて、選びとってね。
過去、貴方が残してくれた幸せを思いっきり抱きしめて、未来の選択をただ待ちます。
放っておきます。私は放って置かれたことが1番楽だったから。
どんな選択でも、それでいいよって言うよ。

ただ、ただ、大好きだよ。

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